メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

『アニマル・キングダム』の描くラストに、非民主的に民主主義をもたらす西洋の伝統を見る

松谷創一郎 ライター、リサーチャー

 オーストラリア・メルボルンを舞台とした『アニマル・キングダム』は、犯罪を生業にする一家を描いた物語だ。モチーフ通り、そこではいくつかの犯罪が描かれる。しかし、派手なクライム・サスペンスになりうる題材にもかかわらず、新人監督のデヴィッド・ミショッドはそうはしなかった。描かれるのは、その一家に住むことになるひとりの少年を中心とした、とても静かな物語だ。

 派手な題材と静かな描写──この映画を観ながら感じ続ける奇妙な印象は、このミスマッチによって醸しだされている。そして、それこそがこの映画の最大の魅力にもなっている。

 物語は、高校生の少年・ジョシュアが母親を亡くすシーンから始まる。母親の死因はヘロイン中毒だ。救急隊が来るまで、彼はソファで動かなくなった母親の隣で、静かにテレビでクイズ番組を観ている。救急隊が来てからも、立ち上がって応急処置とテレビをぼんやり交互に眺める。そんな彼の表情から、悲しみは見て取れない。無表情としか表現できないように、彼は感情を表に出さない。この時点で、観賞者は彼のこれまでの生い立ちをなんとなしに想像させられる。

 孤児となった彼は、祖母のスマーフに引き取られることになる。だが、長男の通称・ポープ(「教皇」の意)をはじめとする伯父の3人は、強盗や麻薬密売など、犯罪で生計を立てているギャングだった。亡くなった母親は、そんな兄弟や親と距離を置いて生活していたのだった。

 この一家のなかで祖母のスマーフは、女王蜂のような存在だ。中年にもなる息子たちを溺愛し、彼らの犯罪も見逃している。彼らが逮捕されれば、弁護士を雇って釈放に奔走する。その溺愛の異常さは、挨拶がわりのキスを唇にする異様な光景でわかる。この「アニマル・キングダム=野生の王国」は、犯罪にまみれて生きる息子3人を、老いた女王が見守ることで成立しているのだ。

 ジョシュアはこの独特な世界に放り込まれ、

・・・ログインして読む
(残り:約1278文字/本文:約2072文字)