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デフレは成長で克服できる――宿命論や悲観論から脱却しよう

小此木潔

小此木潔 ジャーナリスト、元上智大学教授

 経済現象を天変地異と混同してはならないのと同様に、デフレを宿命と考えたり、それを克服できないなどと考えたりしてはいけない。デフレの原因を分析すれば、克服への道も見えてくる。結論を先取りして言えば、成長を加速する政策によって励まされる個人の消費行動や企業の投資行動の累積を通じて、デフレは克服される。成長を祈ったり、それに期待したりするだけでは無力だが、人々に成長期待を抱かせる具体的な政策の総動員が克服へのうねりを起動する。

 まず大切なのは、デフレの原因について分析することだ。分析が違えば処方も違う。しかし残念ながら、デフレの原因に関する分析はきちんとなされていないか、混乱しているように思う。まず、政府も日銀も経済学者も市場関係者も、そしてメディア関係者も多くがデフレをデフレとして認めるのが遅れた。米連邦準備制度理事会(FRB)議長のグリーンスパン氏が日本のデフレに警鐘を鳴らしたのは1995年だったが、政治家も市場関係者も、メディアも「物価下落は良いこと」という錯覚からこれを無視し続けた。

 政府がデフレを認めたのが2001年3月の月例経済報告だった。このころからようやくデフレの原因と処方箋に関する議論が始まり、インフレ目標やリフレについての論争が盛んになってゆく。だがそれも混乱した。このころは、デフレを少子高齢化に伴う宿命として論じたり、中国などからの安い輸入品の増加がデフレの原因だからデフレは直らないなどと決めつけたりする傾向が経済関係者の間ですらかなり強かった。

 しかし、デフレの大きな要因はやはりバブル崩壊とそれに続く需要不足であると考えるべきだろう。それだからこそ日本だけが先進国として戦後初めてのデフレに陥ったのであり、米国と中国の成長によって外需と設備投資が牽引され、「いざなぎ越え」といわれた景気拡大の結果、07年ごろにはようやく需要が回復しデフレ脱却宣言の寸前までいったのである(少子高齢化や中国などからの輸入がある限りデフレは終わらないとすれば、そうはならなかった)。

 一般物価の下落は総需要の不足が原因で起こる。そうした基本認識に人々が立ち返ったのは喜ばしいことだ。日本銀行の白川総裁も「デフレの原因は需要不足にある」と語り、政府の経済財政白書も2010年度版でデフレの理由を「バブル崩壊から約20年続く慢性的な需要不足」と指摘している。

 さて、その需要不足をどうやって解消するかが政策の中心課題だ。消費や投資をどうやって盛り上げるか。企業の期待収益率をいかに引き上げるか。期待成長率をいかに高めるか。それには新しい成長分野(環境エネルギー関連、医療・福祉、教育、観光など)を刺激するための財政金融政策、規制緩和と強化の両面にわたる改革、さらには貿易拡大の基盤となる二国間自由貿易協定の拡大・アジアにおける自由貿易圏づくりをはじめとする政策を総動員することが必要であり、有効である。

 とりわけ増税による財政再建と成長の両立を目指し、さらにそれを社会保障の充実と結びつける政策が求められる。一種のナローパスには違いないが、そこに挑戦することは歴史的な課題であり、それ抜きにはデフレ克服も難しいだろう。増税分を賢く利用することで(規制緩和やFTA政策などと組み合わせて政策の効果を大きくするなどして)生活の質の向上を伴う経済成長を進める。それは需要拡大を通じたデフレ脱却をもたらすであろう。

 日銀は、すでに歴史的な低金利政策や量的緩和政策によって、実質的なインフレ目標(ゼロ+という消極的なものであれ)もどきの政策をも取り入れつつ、成長分野に対する銀行融資を応援するというこれもまた異例の新政策を打ち出している。短期間にデフレ脱却を図るため、というのが先般の日本記者クラブでの記者会見における白川総裁の説明だったが、それはそれで納得できる。

 菅直人政権の役割はというと、デフレ対策を日銀に押しつけたりすることなく、消費増税を軸とする税制改革から逃げずに「強い経済、強い財政、強い社会保障」の旗をきちんと掲げ、国民に「第3の道」の必要と効用を丁寧に、粘り強く語りながら、たゆまず走り続けねばならない。そうした努力の先に、デフレという長いトンネルからの出口が見えてこよう。