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原発と「利己主義という気概」

原田泰

原田泰 原田泰(早稲田大学教授)

◇大都市の人々は反省すべきなのか◇

 福島原発の事故によって日本経済は制約を課され、人々の日常生活は脅かされている。このような状況について、東京の電力が福島やその他の地域の原発によって賄われ、豊かな生活をしてきたことを大都市の人々は反省すべきだと言う議論があるが、そうだろうか。

 電力会社と政府は、原発は絶対安全だと言って、原子力発電所を建設してきた。東京の人々は原発の安全性について何も知らない。原発の差し止め訴訟が繰り返されてきたが、専門家が安全と判断していることによって、差し止め派はすべて敗訴してきた。公正で公平な裁判官が専門家の意見を聞いて判断したことに、東京都民が、それは違うと疑いをもって何らかの行動をすべき道徳的、倫理的義務などあるはずはない。広範で不明確な倫理的義務を負わされては、人間は何もできなくなる。

 そればかりではない。広範で不明確な倫理的義務を唱えれば、あらゆる問題について、専門家の責任感を高め、真の原因と責任を追及し、本当の解決策を見出すこともできなくなってしまう。アメリカの国民作家、アイン・ランドは、「人間は他人の意見や願望のために自らの信念を犠牲にしてはいけないのです(これが誠実さという美徳です)。その結果の全責任を引き受けることもせずに、あることの原因となるような行為をしてはいけません」と書いている(『利己主義という気概』54-55頁)、ビジネス社、2008年)。

 エネルギーを使わない生活が良いかどうか、それは各個人が判断することで、

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