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内外均衡の相克にどう決着をつけるのか

浜矩子 同志社大学大学院教授(国際経済学)

 2012年が始まった。竜(辰)年である。竜は、十二支の中で唯一の架空の生き物だ。不可知性に富んでいる。何が起こるか解らない。何が起こってもおかしくない。2012年は、この雰囲気が極めて濃厚な中で幕を開けた。ミステリアスな竜のイメージが誠にふさわしい。

 この前の竜の年が2000年だった。失われた10年」の次に日本を待ち受けているものは何か。それを巡ってあれこれ論議したものである。今にして思えば、あの時が「失われた次の10年」の出発点だった観がある。格差と貧困の深化の向けてのスタートライン。それが一巡り前の竜年だった。

 2000年の段階で、エコノミストとしての筆者はどんなことを考えたり、言ったりしていたのか。それを少し振り返ってみた。こんな回顧趣味に浸るのも、筆者自身が竜年生まれだからなのか。そうかもしれないと思いつつ、当時の書き物などを探索した。すると、すぐに判明したことが一つある。

 それは、当時の筆者が必死で「グローバル時代」とはいかなる時代かを突き止めようとしていたということだ。つまり、今と全く同じである。何と進歩のないことか。まずは、そのことに唖然とした。

 だが、気を取り直して考えれば、これも悪くないかもしれない。エコノミストは執念深くなければいけない。しつこくなければ、エコノミストではありえない。同じテーマを執拗に追及してこそ、エコノミストは社会的存在であることを許される。あきらめのいいエコノミストは、商売替えをした方がいい。

 それはともかく、「グローバル時代とは何か」の追求を始める以前の段階では、筆者は別の形でエコノミストとしてのテーマを設定していた。それは、「内外均衡の相克」というものだった。

 国々の経済は、いかにして、内なる均衡と対外的な均衡を両立させるのか。その両者が矛盾する時、そのいずれが勝利をおさめ、いずれが犠牲になるのか。これが内外均衡の相剋問題である。あちらを立てれば、こちらが立たない。その時、

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