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学会連携・震災プロジェクトの新年度が始動 日本学術会議の大西隆会長と情報共有

WEBRONZA編集長 矢田義一

 「学会連携・震災プロジェクト」が2012年度の活動に入った。このプロジェクトは昨年3月の東日本大震災を受け、「学界は、日本の経済・社会の再建のために、連携して研究成果を生かして、一定の役割を果たすことが求められている」との認識で、昨年発足した。学者、研究者らが「関連する学会で震災にかかわる議論を連携させながら深め」ることで、この役割を果たそうとしている。昨年10月9日(日)には、プロジェクトの初の公開シンポジウム「震災復興―国の役割と地方の役割,公の役割と民の役割―」を大船渡市で開催するなどの活動を続けている。参加者が所属している学会は日本計画行政学会、日本公共政策学会、公益事業学会、日本水環境学会など幅広く約40学会にのぼる。など、上記シンポジウムについては朝日新聞が発行しているメディア研究誌『ジャーナリズム』2011年12月号で紹介している。

 同プロジェクトでは4月2日、新年度にあたり東京・大手町の東洋大学大手町サテライトに日本学術会議の大西隆会長を招き、日本学術会議の震災復興への取り組みを聞くと同時に学術や学会に関係する者同士が改めて問題意識の共有を図った。プロジェクトの呼びかけ人でもある日本公共政策学会会長で、東洋大学教授の松原聡氏が司会・進行役を務めた。

 学会連携・震災プロジェクトのトップページはhttp://gakkai-renkei.jp/から。

 日本学術会議はhttp://www.scj.go.jp/

 ここでは大西隆会長の話の要旨を紹介する。

(WEBRONZA編集長 矢田義一)

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 日本学術会議は昨年3月11日の大震災発生直後から、積極的に活動を展開し、精力的に声明などを発表してきた。

 3月18日 「東北・関東大震災とその後の原子力事故について」(日本学術会議幹事会声明)

 3月18日 日本学術会議緊急総会「今、われわれにできることは何か?」

 3月23日 「東日本大震災対策委員会」設置

 などが、震災直後からの動きであり、委員会はその後、「福島第一原子力発電所事故後の放射線量調査の必要性について」(4月4日)とする提言から「広範囲にわたる放射性物質の挙動の科学的調査と解明について」まで、7次にわたる提言を出してきた。

 また、被災地域の震災復興グランドデザイン分科会と、エネルギー政策の選択肢分科会をもうけ、それぞれが提言や報告をまとめた。そのなかのひとつ、昨年9月30日に出した「東日本大震災被災地域の復興に向けて―復興の目標と七つの原則―」は以下の通りである。

1. 原発問題に対する国民への責任、除染、速やかな国際的対応促進

2. 日本国憲法の保障する生存権確立

3. 市町村と住民を主体とする計画策定

4. 命を守ることのできる安全な沿岸域再生

5. 産業基盤回復と再生可能エネルギー開発

6. 流域自然共生都市

7. 国民の連帯と公平な負担に基づく財源調達

大西隆会長

 そして、2011年10月から私が会長を務める新体制のもと、東日本大震災復興支援委員会を発足させ、「災害に強いまちづくり分科会」「産業振興・就業支援分科会」「放射能対策分科会」の3分科会を発足させ、福島、宮城での現地調査やヒヤリングを実施してきた。現在はそれらを踏まえた新たな提言をまとめている最中だ。

 一つ目の災害に強いまちづくり分科会では、特に津波被災地に焦点をあて、どういう取り組みをしていくかを中心に議論を重ねている。

 二つ目は産業振興と就業支援。地域が生き延びていくためには産業、雇用が必要だという観点から、これも主として津波被災地、宮城県、岩手県を中心に取り上げた。

 三つ目が放射能対策分科会で、言うまでもなく福島に焦点をあてたものになる。

 これらは今まさに取りまとめの最終段階にはいっており、間もなく発表することになっている。例えば、いま人材が非常に必要だと。復興の全体像の予算の枠、あるいは制度はできているが、それを現場的にすりあわせて、実施していることが特に津波被災地などで重要だということだ。

 もうひとつ、産業振興、就業支援は、企業が復活できるための補助制度あるいはそれと生活をつなぐことが大切だ。求職者、離職者支援というやや地味な取り組みだが、求職者対策という一連の制度はある意味セーフティーネットになっている。ただ、現状ではセーフティーネットが行き過ぎ、求職意欲をなくしてしまうという問題も出てきている。一定のセーフティネットを確保しつつ、うまく新規に立ち上がる企業のスピードアップを図るということが必要だ。

 放射線被ばくについてはまだ公表していないが、福島県内のどこにいた人がこれまでにどれくらい被ばくしているかということを推計した。この推計の方法としては、ひとつはだいたい多くの人がどういう行動をとったのかということに応じて、行動をとった場所、移っていく場所などと、その場所ごとの放射線量はおおむね分かっているので、そこにある仮定を置いて、屋外で何時間、屋内で何時間過ごしたということで、これまでの数カ月間でどれくらい被ばくした可能性があるかということを、計算した。

 それから一方で個別の調査も存在する。つまり、福島県内で個人がどれくらいこれまでに浴びたのかということの調査および内部被ばく量のデータなどもとられているので、そうしたデータとつきあわせながら、具体的な個人ベースではないが、ある行動パターンをとった人の累積の被ばく量を計算した。

 その人が今度はたとえば新しい枠組みのなかで、もとの場所に戻るとか、あるいは元の場所の近く行くということをこれからやって、数十年間過ごした場合に、仮に30年間でどれくらい被ばくすることになるかということを推計している。

 これまで実際に浴びている量は100ミリシーベルトに満たない。ざっとまあ、その半分程度、50ミリシーベルトいっている人も少ない。ほとんどはそれ以下だ。したがって、健康被害に問題ないが、これから30年間住む場所によっては完全にそれを上回る、100ミリシーベルトを上回る恐れのある人がたくさんいる。だから、我々は今回の推計では、これまでどうだったかということよりも、これからどう過ごすかということが極めて重要だと認識している。

 特に、これまでという意味では、原発に近いところの人たちは、割と早く避難命令が出て、逃げている。だから、高い濃度ではあったわけだが、高い濃度を浴びた時間が極めて短い。ところが、その周辺の飯館村などでは、約2カ月現場にいたことになっている。最終的に避難したのが、5月の下旬、20日前後だったと思う。だから、約2カ月間浴びているので、その間に割と高濃度のものを浴びてしまっている。先ほど言った100ミリシーベルトよりははるかに低い量だが、初期値が割と高い。それから避難をしているが、これからだんだん場合によっては少し高いところに戻るという可能性もある。その時に累積で100ミリシーベルトを、過ごし方によっては超える人が出る恐れが出てくる。だから、これからの管理というのが非常に大事だということだ。

 それから、これはなかなかコントラバーシャルな問題ではあるが、災害廃棄物の広域処理という問題でも提言を書こうとしている。

 災害廃棄物の広域処理という場合、岩手県と宮城県のがれきのことになる。福島県については、対象に入っていない。もちろん災害廃棄物があるが、放射性物質がかなりまじっているということで、これは福島県から出さないという原則だ。岩手県と宮城県については、広域処理、つまり県外に出して処理をするということが言われている。

 なかなかこれはデリケートな問題を含んでいるが、我々の主張は、いろいろ調べた結果、今、岩手県と宮城県でだいたい2000万トンあると言われている。この2000万トンというのは非常にラフな推計値だ。家が壊れたのをだいたいこれくらいとおさえておいて、がれきの発生率を計算しているというやり方で、積み上げではない。

 この2000万トンの2割、400万トンが広域処理の対象となっている。その400万トンのうち、300万トンが石巻から出ているがれきなので、大半が石巻から出ている。正確には周辺部を含む石巻地区ということだが、616万トンがれきがあるとされており、一つの市域として大変に多いようだ。

 これをその地区のなかで処理をしようとすると、手に余る。そのうちの半分近くを広域処理に頼みたいということだ。それプラス100万トンで400万トンが広域処理の対象ということになるが、われわれがひとつポイントとして考えたのが、被災地間の融通だ。被災地のなかで、例えば平野部で丘をつくって将来の堤防にしたいというふうな提案をしているところがある。その丘の原材料にがれきを使う。ところが、その平野部には丘をずっと造成するのに十分な量のがれきがない。だから、被災地間で融通しあってもっとがれきを使える可能性もある。

 場所によっては、がれきを燃焼、焼却処分して、焼却灰のうち、放射性物質の混入度が非常に低いものはセメントの原材料に使える。全国どこで使っても現在の基準からいって問題ない状態のがれきならそれができる。いわば、資源として再利用できる。そういうがれきある。そうやって、現地を中心に有効に使っていくことによって、400万トンのうち、かなりが消化できるのではないか。

 加えて、平成26年3月までに全量を処分するというのが現在の計画だ。これから丸2年かけてやるということになる。現在、処分できている量は2000万トンの7%といわれている。逆に言えば93%がまだ処理されていないということだが、こういう処理はあるところで軌道に乗り出す。焼却場なども出来てきて。そうすると、26年の3月までには、400万トンは広域処理に回すという前提で考えると、処分完了という計画がつくれる。さらに、26年の3月で完了としないで、仮に半年延び、9月までということで考えれば、残りの広域処理分も含めてすべて処理できると想定している。

 どこかの時点で、処理、処分が軌道に乗り出し、焼却施設などもフル稼働する。そのペースで26年3月でやめないで、半年間だけ延ばすということにすれば、懸案になっているものがすべて処理できる。どうしても半年というのが待てない、それほど、クリティカルなんだというんであれば、26年3月までに終えなくてはならないが、処分が軌道に載っている状態で半年延びてもいい、地元で雇用が発生するなど、かえっていいと考えれば、地元で処理、処分ができることになる。

 ただ、この広域処理はデリケートな問題を含んでいる。我々の考え方の基本は、やはりマッチングだ。政府が安全だというのを信じられない地元が存在する以上、そういう地域では広域処理をする場合にどれくらいの線量だったら、引き受けてられるのか。そういう基準というものを受け入れる側も条件として出す必要がある。

 なかには、セメントの原材料として使うためには、放射性物質が検出されないということじゃないと受け入れられないというところもある。検出されないというのはどういうことか。検出器の性能があるので、ある量以下は検出できない。だから、かなり低線量であれば検出不能で、それはないのと同じと考えていい。そういう状態なら、セメント製品として売れる。そういう廃棄物であれば受け入れられるという。そして、そういう廃棄物は被災地にたくさんある。だから、そういうがれきだけを選んできてそこに届ければ、そこはそれを焼却してセメントの材料にし、セメント会社に売る。できたセメントは放射性物質を検出しようとしても検出できないという状態になっている。

 このように、受け入れる側と受け入れてもらう側をうまくマッチングをして、それぞれのニーズにあった、協力してもらえる範囲で、うまく協力してもらえる構図をつくることが大切だ。こういうことを丁寧にやっていくことが必要なのではないかというようなスタンスで提言を書こうとしている。

 以上のように日本学術会議として提言をまとめる作業の大詰めを迎えているが、私の専門は都市計画なので、津波被災地で何が問題なのかを常にまちづくりとむすびつけて考えている。

 そのまちづくりの観点で重視されているのは「減災」という考え方だ。

 減災は防災という言葉と対比されてつくられ、使われる。日本語としても20年くらい使われてきたが、あまり浸透していない。こういう分野では防災ということで全部済ませてきた。ただ、今回の大災害を受けて防災と減災は違うと、改めて論じ出した。復興構想会議の提言でもそのことを区別して扱っている。それを受けた政府の復興方針というのがあるが、これでも防災と減災を区別している。

 減災というのは、減らすということだから、防げないという意味合いを含んでいる。ただ、防げないといっても人命の損失も防げないというのでは、災害対策にならないので、人命の損失はゼロ。しかし、ものの損害、物的損害はやむを得ないと考える。つまり家が建っているところ、家が津波で流されることまでは防げない。ただ、そのなかにいた人は逃げられる、ということを想定している。

 この減災をきちんとやって、少なくとも人命は損害を受けない。加えて、物的な損失もなるべく少なくする。こういう取り組みが改めて求められているのではないか。特に今回の被災地、三陸は何度も大きな津波にあっている。これでまた、また危ない状態で再建をしたのでは、もちろん、対策として何をやっているのだということになる。支援が行われることも保障できなくなってくるのではないか。つまりは、安全を確保した復興ということが問われるということだ。その安全を確保した減災の思想の具体化というのは、三つの要素からなっているといえる。

 一つが防災施設。津波に対する防波堤。防潮堤、防波堤をつくるということ。

 二つ目がまちづくり。高台移動を進める。

 三つめが避難ということが必要。車での避難にも対応する。

 三つを組み合わせることが大切ということだ。だが、なかなか難しく、いまも現地の具体的な実例を見て学びながら考えている。これまでの大きな地震後にとられた対策も参考にしながら具体化を構想しなくてはならない。どういう回答を出せるか、我々としてもこれからが正念場になると考えている。

 もうひとつ最後に被災地の人口の変動について言及しておきたい。被災地の人口について北端の岩手県野田村から南の福島県いわき市までを

グラフにしてみると、震災の前も後もほとんどの地域がマイナスであることが一目瞭然だ。

 例えば、いわき市。震災前の2006年から2010年までの5年間ではマイナス1万2000人。被災地38市町村全体ではプラスマイナスを計算して全体ではマイナス4万6000人だ。5年間で4万6000人減っている。

 次に去年の3月から12月までの10カ月の増減を住民基本台帳ベースで見てみる。これもほとんどがマイナスで、わずかに利府町などいくつかプラスがあるだけ。つまり、震災後の10カ月間は人口流出が続いている。この数字がマイナス5万7000人だ。

 これはあくまでも住民基本台帳ベース、つまり住民票を移しているかどうかで判断している。福島県では実際には住んでいないが、住民票はそのままにしている人も少なくないので、この数字は低めに出ている。それを考慮して考える必要があるが、5年間で4万6000人減少していた地域が、10カ月で5万7000人減ってしまった。このなかには、1万5000人亡くなった方が含まれる。その数字を差し引いても4万2000人という方が流出している。しかも、この傾向がまだ続いている。したがって、被災地で心配されているのは、物的に復興ができても、住む人がいるのかということだ。この問題がだんだん深刻になってきていることに留意しなくてはならない。

 そのために、雇用、産業という学術会議的にいえば、二つ目の分科会で行っている議論が重要になってくる。学術会議としては、そのなかで、仕事を失った人の対策、ということを求職者対策、あるいは失業者対策を中心に当面考えている。セーフティーネットの拡充ということを提案しているが、根本的には産業を興して雇用機会をどうつくっていくのか。こうした長期的な展望がないままの失業対策だけでは不十分だということだ。

 私はかねてから、復興まちづくり会社という官民共同の会社をまずつくって、徐々にそれを民営企業に変化させていくというようなプロセスが必要だと申し上げている。ジャンルとして可能性があるのはエネルギー、水産業の6次産業化、観光などがある。加えて、中心市街地の再興というような分野で地元の資源、地元のすぐれた歴史とか伝統を生かしながら、産業化していくことを地道にやっていく必要がある。

 それにはリアリティーを与えるのは復興予算、これは差し引き正味で15兆円すでに用意されているので、これをうまく使いながら、単なる復興ではなくて、それを産業へと結びつけていくことが極めて重要ではないかということを提案している。これらは主として岩手、宮城の被災地に対して提案をしている。福島についてはまだそこまでいっていない。いずれ、福島が安定すれば、その安定した地域については、同じようなことを考えている必要があるのではないかと考えている。