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労働教育の不在が社会をむしばむ

竹信三恵子 ジャーナリスト、和光大学名誉教授

 若者の就活論議が盛んだ。少子化の中、大学も生き残りをかけて就職率アップにまい進し、「企業に雇われる力」を身につけるための「キャリア教育」に力を入れる。だが、今の労働市場を素直に見ると、「企業に評価される人材づくり」だけで職業生活を乗り切れるのかという疑問がわいてくる。本当に必要なのは、働き方の何が問題なのかを見据え、これに対抗していく力をつけることではないのか。

 そんな思いから、6月下旬、若い世代とその親たちに向けて「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)を出版した。ここで強調したかったのは、就職難は「雇われる力」の不足より、労働市場の歪みから来ている、ということだった。

 1980年代半ば以降続いてきた労働の規制緩和の中で、非正社員は働き手の3人に1人を超え、新卒が一人前の働き手に育っていくための「正社員」の働き方は門戸そのものが狭まっている。今年4月に出版した「ルポ賃金差別」(ちくま新書)でも明らかにしたように、日本では同一労働同一賃金を支える仕組みが極めて不十分なため、非正社員さえ増やせば正社員と同じようなスキルや仕事力で低賃金・不安定な労働力が簡単に手に入る。企業は、「非正社員」という伸縮自在に人件費削減をできる「打ち出の小槌」を手に入れてしまったといえるかもしれない。

 これでは、仕事の量が増えても、正社員の口が増えるとは限らない。にもかかわらず、親世代の多くは、これを実感できていない。新卒といえば正社員が原則だった時代に社会人となった父親から、「オレは正社員で就職した。大学を出してやったのに非正社員だなんてだらしない」と責められる学生も少なくない。

 こうして追い詰められ、自信を失った若者たちは、後先も見ずに「正社員」の募集に飛びつく。だが、その中には、奴隷労働並みの長時間労働を要求する「ブラック企業」も目立つ。「ブラック企業」とは労働基準法などの法令を無視した違法企業に対して若者たちが与えた呼び名だが、大人世代はここでも、「正社員は拘束度が高くて当たり前、最近の若いやつは根性がない」と責める。

 だが、これは勘違いの部分が多い。大人世代が「社畜」と揶揄されるほどの長時間労働、高拘束に耐えてきたのは、見返りに、定期昇給や定年までの雇用保障、手厚い福利厚生などの高い保障があったからだ。「社畜」とは「会社の家畜」の意味だが、まさに、自由はなくても会社の中でおとなしくしていればエサを安定供給される状態が一応はあった。

 だが、非正社員の低賃金・不安定雇用が常態化した今の会社では、

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