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[4]ノンフィクション作家・角幡唯介との対話(下)

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 ――ところで、いまのマスコミ、ジャーナリズムはどう思いますか?

角幡唯介氏

 角幡 はっきり言って、新聞は面白くないですね。追及の矛先がすごく弱いような気がして。昔だったらもっとキャンペーン報道があったのではないですかね。本田靖春さんのような、あるいは朝日のリクルート事件報道とか。大阪地検特捜部の証拠改竄事件も、あれだけの事件なのだから、もっとキャンペーンをやってみたらいいのにと思ってみていました。せっかくのスクープなのに、そういう追及する力が弱いような気がします。

 

 ――相手が検察だからでしょう。そもそも朝日新聞社では、私がライブドア事件や村上ファンド事件を報道するまでは検察への批判的視点はなかったですよ。社会部の記者たちが、多少自嘲や韜晦も込めていたのでしょうが、東京地検特捜部のことを「ご当局」あるいは「ご当局様」と呼ぶことに私は猛烈な違和感を覚えました。まあ、朝日に限らずどこもかしこも似たり寄ったりだと思いますが。

 

 そういう、誰もが検察への批判をまったくやらずに阿諛追従しているようなときに、検察に批判的な記事を書くということは極めて勇気がいりました。反撃を食らうリスクがあるし、何か嫌がらせを受けるかもしれない。そう思っていたら、会社の上司が私のことをこっそりと喫茶店に呼びつけて、「なんとか検察批判を抑え目にしてくれ」と言われたことがあります。「圧力」というのは外からよりも内からかかってくるものなのですね。私は当時「この人(上司)、自分がやっていることが分かっているのだろうか」と、とても驚きました。

 

 いまの大手報道機関はどこもそうですが、情報を持っている相手に対して「与党化」するんです。それは捜査機関でもあるし、官公庁や大企業、有力な政治家でもあるのですが、与党化することによって当該取材先からいかに早く情報をとるかということに全精力を傾けています。批判的な視点を持てとまでいかなくても、せめて距離を置いて相手を見るということもできにくい。特に社会部が顕著で、検察、警察、国税、裁判所に対してまるでジャーナリスティックに迫れない構造がある。

 

 角幡 一体化する。さっき出た話ですね。記事の主体が、警察だとか役所だとか企業だとかの「権力筋」にならざるをえない構造ですから、情報をもらうためには一体化せざるを得ない。批判しなければならない相手でも、人間、親しくなっちゃったら悪くは書けませんよね。記者の醍醐味は「サツ回り」でもあるんですよね。

 

 僕は富山支局の1年生のときに警察回りをしたのですが、「サツ回りって運動会みたいなもんだな」と思いました。抜いた、抜かれた、と。面白かったけれども。僕はいま自宅で朝日新聞を購読していますが、朝日は発表ものが多いですね。

 

 ――最近読んだ記事の中で面白い記事はありましたか?

 

 角幡 東電の電気が暗かったという報道(朝日新聞2013年2月7日付一面「東電、国会事故調に虚偽 福島第一、現地入り妨げる」)は、もっと大きく扱えばいいのに、と思える記事でした。

 

 ――木村英昭さんという腕のいい記者が書いた記事ですね。朝日の記者ではどんな人の書いたものに魅力を感じましたか?

 

 角幡 えー……うーん……(考え込んで約40秒間沈黙)。(はたと気づいた様子で)そういえば、

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