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ウィニー開発者とマウス発明者の死去-実験から商業化に猛進するネット社会

小原篤次 大学教員(国際経済、経済政策、金融)

 大学で「地域情報経済論」という講義を担当している。社会科学の中で、経済学は最新事情、統計などを入れて更新頻度が早い。しかし困ったことに大学生向けのテキストや参考文献がなかなか見つからないのである。「情報経済論」関連のテキストでは、15年前に出版された福田豊・須藤修・早見均(1997)『情報経済論』有斐閣がある。科目名を少し広げてみても、直江重彦(2004)『ネットワーク産業論(改訂版)』放送大学教育振興会、湯淺 正敏・宿南達志郎など(2006)『メディア産業論』有斐閣で、スマートフォンに対応できていない。

 世界最大の半導体メーカーインテルの創設者の一人であるゴードン・ムーアが1965年に提唱したムーアの法則は「半導体の集積密度は18~24カ月で倍増する」とした。年単位で大きく変動する産業や企業をテキストでカバーするのは容易ではない。携帯電話、ゲームソフト・アプリ、SNSなどの興亡は短期間に起きうる。情報経済の変化に対応すべく、自作の教材に新書や文庫を指定したブック・レポートで補っている。

人とコンピュータのインターフェイス

 社会面のお悔やみ欄で、情報通信関係の異才が相次いでこの世を去ったことを知った。パソコン・マウスの発明者ダグラス・エンゲルバートさんとファイル共有ソフト「ウィニー」の開発者の金子勇さんである。まずはお二人のご冥福をお祈り申し上げたい。

 7月2日に亡くなったダグラスさん(享年88)は1962年の論文で、ディスプレイ、キーボード、マウスなど、アップルやIBM・マイクロソフトが商品化にこぎつけた現在のパソコンに通じるインターフェイスを綴っている。1968年には論文の構想を実演しているhttp://sloan.stanford.edu/MouseSite/1968Demo.html。白黒映像だが、人とコンピュータの関係を示した点で古さを感じさせない。リアルである。ダグラスさんは1997年、コンピュータサイエンスのノーベル賞と呼ばれるチューニング賞を受賞している。

 マウスという呼称は1962年の論文では出てこないものの、1968年の実演ではマウスと呼んでいる。論文では「補助装置として設けられるのは、筆記機械(またはその類似機械)から出力される印字列に沿って動ける、エンピツのような形のセンサーである。この読み取りセンサーから信号が電線を通じて筆記機械に送られ、読み取っている文字がわかり、自動的に複写タイプがおこなわれる」と表現されている(西垣通(1997)「思想としてのパソコン」NTT出版、157頁)。

 一方、同6日に亡くなった金子勇さん(享年42)は東京大学で助手や講師を務めたが、ファイル共有ソフト「ウィニー」の開発者として一般に知られた。ウィニーは違法な動画や音声の共有で著作権侵害者、情報漏えいで社会面をにぎわせた。先の『メディア経済論』は、ウィニーについて米国のナップスターとともに、動画や音楽の著作権問題と関連付けて記述している。

プログラム開発者の異例な逮捕

 金子さんは2002年5月、開発したウィニーを掲示板「2ちゃんねる」を通じて無料公開した。ウィニーは、匿名性を備えたファイル共有ソフト開発を目指した。多数のユーザーで構成されるウィニー・ネットワークによって、

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