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周南市殺人事件が見せつけるリアル

城繁幸 「Joe's Labo」代表取締役

 地理的、状況的に津山事件(もしくはそれをベースとした“八つ墓村”)を連想させたためだろう。山口県周南市の山間部で起きた連続殺人事件が、ニュース報道、ネットの双方で大きな波紋を呼んだ。

 だが、もう一つ、本件には人々の心をとらえて離さない事情が含まれていると筆者は考えている。それは、みな普段はあえて思い出さないようにしているが、常に心の奥底に横たわっている罪悪感のようなものの存在だ。

山間部の“民族小移動”

 現在、地方、特に山間部では、“民族小移動”とも言うべき住民の集中現象が起きている。農協や役所、スーパーといった生活インフラが維持できなくなった集落から、それよりいくぶん活気のある地区へ住人が自発的に移住しているのだ。結果、ここ20年でむしろ人口もインフラも向上する町がある一方で、その周辺部には、個人商店すらなくなった集落がぽつぽつ張り付くという状況が出現している。今回の一件は、そうした限界突破集落で発生したものだ。

 そうした集落に残るのは、年齢や経済的な諸事情をかんがみて「動かない」ことを選択した人間であり、いずれも80歳前後の高齢者が中心だ。もはや車の運転もままならなかったり、電球一つ交換できない人も少なくない。だからこそ、彼らは雄大な大自然の中で、狭いエリアに肩を寄せ合って支え合いつつ暮らしている。都会っ子が想像するほど牧歌的でも雄大でもなく、イメージ的には昭和の長屋に近い、濃密な人間関係がそこにはある。

 いや、長屋であれば、そこには選択肢と正のサイクルがある。いやならプイっとよその土地へ移っていけばいいし、自らもサイクルの一員として、いづれは下の世代に支えられる側に回ることが出来る。理不尽なことがあっても「そういうものだから」と自らを慰めることも出来るだろう。

「限界突破集落」の現実

 だが、山間の「限界突破集落」は違う。そこに残るのはもはや移動という選択肢を失った人々であり、そのほとんどが逃げ場などない人々だ。雇用もそうだが、流動性を失えば、人間関係はどうしても淀んでしまう。さらに決定的な違いは、

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