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なぜ我々は「食」のキャッチコピーにだまされるのか

木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

 阪急阪神ホテルズ系列のレストランで食材偽装が発覚した。他の各地のホテルでも、「偽装がばれる前に」とでもいうように、「誤表示」を告白するケースが相次いでいる。

 食材偽装のキャッチコピーを一覧すると、ある特徴に気がつく。「手ごね」「自家菜園」「フレッシュ」「鮮魚」「自家製」――要するに食の職人たちが手間暇かけてしつらえた食材であることをアピールしている。

 これを裏返しに読むと、「食品工場で作った量産品や既成品ではなく、市場でまとめ買いした野菜でもなく、コールドチェーンを経た冷凍品でもありません」となる。

 何も知らないお客は食材のキャッチコピーを見て、ホテルでの食事に付加価値を見出し、多少高くても注文する。その価値観を共有できる仲間でもいればなおいい。その結果、一枚上手のホテルマンたちにだまされてしまうのである。

 食品の大量生産やコールドチェーンでの流通は、戦後の日本社会が様々な分野のイノベーションや経営の工夫を重ねて実現してきた成果である。食材を腐らせることなく大量かつ均質に加工・生産し、トラック輸送やスーパーなどの流通システムも整備してきた。植物工場ができ、魚介類は保存技術が発達した。我々はその恩恵を受けている。

 ところが、人々が求める本当の価値や幸福感は、そうした経済性や合理性の追求の彼方にあるのではなく、むしろそれとは対極の素朴で手間暇かけた昔ながらの食の空間に存在していることを、今回の事件は教えてくれる。

 キャッチコピーがそこで威力を発揮する。「鮮魚」はどこか漁港のレストランで食べる気分、「自家菜園」は野菜を育て収穫する喜び、「フレッシュ」は果樹園でかんきつ類を絞って飲む爽快さ――こうした食の悦楽は、忙しく働く現代人がそう体験できることではない。代わりに少しだけ擬似的で非日常的な夢を

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