メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

治安維持法の歴史を忘れた日本人――このままでは議会、メディアの自殺だ

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

 国会で審議が大詰めを迎えている特定秘密保護法案は、情報公開法の改正だけではなく、戦前の治安維持法との関連で議論されるべきであろう。しかし、そのような議論は、日本の大手マスコミからは、トンと聞こえて来ない。不思議である。

 このようなとんでもない特定秘密保護法が成立すれば、不自由になるのは、日本国民だけではない。居眠りしている大方の大手マスコミ人、官僚組織の中で働く公務員、国会議員たちも、自由を失ってから、そのありがたみが分かるようでは、余りにも情けないのではないか。

 1925年に公布された治安維持法は、その直ぐ後に公布された普通選挙法とセットとなっていた。国体(明治憲法体制)の変革、私有財産制の否定など、当時のロシア、欧州で起きていた社会主義革命、共産主義革命への動きを封じようとの法制であった。

 暴力革命は容認できないが、25歳以上の成人男子全員には、帝国議会議員を選ぶ総選挙での投票権(参政権)、30歳以上の成人男子には、議員になる被選挙権が付与された。議会制の下での穏健な社会改革を志向していたと評価されよう。

 しかし、治安維持法は、拡大改定され、予防拘禁などの仕組みも盛り込まれた。時の権力に都合の悪い言動・活動をする者は、何らの違法な行為がないにも関わらず、逮捕され、警察署の留置所、拘置所に、起訴もされないままに、長期にわたって拘留されることが罷り通っていたのが、戦前の日本の実状であった。肉体的な拷問は当たり前であった。

 これでは、日本政府の遂行する戦争がオカシイと思っても、反戦活動が封じ込められてしまったのは、何ら不思議ではない。こうした法律はいったん成立したが最後、国民、主権者、メディアなどの手に負えなくなることは歴史が教えている。

 皮肉なことに、この治安維持法は、『大正デモクラシー』下の帝国議会で採択されたのだ。昭和戦前期には、時の政治権力に反対する何万人もの者を、起訴もせずに警察の留置所、拘置所に予防拘束し、

・・・ログインして読む
(残り:約939文字/本文:約1768文字)