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[19]ルポライター 杉山春との対話(下)

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 ――杉山さんご自身、母親であることとライターの活動はかかわりあっているのですか。

 杉山 そうですね。私は、自分のことを書いているので。私は一冊の本を書くことによって私の見える世界が変わってくるのです。本を書くことによって初めてわかってくるところがあって、つまり書くことが必要なんです。その必要を満たすために書いています。

ルポライターの杉山春さん

 私の子どもは小学校2年生のときから中学2年生まで不登校の傾向が強かったのです。病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席すると、文部科学省の定義する「不登校」になります。うちの子は、小2、3、6年生のときが、確か30日以上休んだことになるのかな……。

 最初にかかった児童精神科医からは発達障害だといわれました。発達障害のある形には、ものすごく多い量の情報を浴びて、それを取捨選択ができないということがあるそうですが、確かにうちの子は、先生からの注意を全部守ろうとして、アンテナをはりめぐらしているようなところがありました。

 でも、実際に主治医になっていただいた、当時「子どもの虐待防止センター」(社会福祉法人)の理事長をされていた坂井聖二先生(故人)からは、そうした診断は受けませんでした。ただ、息子は「素晴らしい感受性と能力、そしてとても魅力的性格を携えていると同時に、普通の人が何でもなく乗り越えるものに躓いてしまう弱さも持っている」と言われました。

 私自身の仕事は、子どもが生まれる前後から、雑誌の取材テーマなどでも、子育てモノが多くなっていました。そんな取材のなかで、当時、不登校問題の関係者の中でよく言われていた「学校に行けなくなったなら、無理に学校を行かせないほうがいい」という考え方に触れていました。だから息子が学校に行かなくなったとき、学校には行かせなくてもよいのだと考えました。

 ところが、坂井先生は「お母さんが子どもよりも先に学校に行くか、行かないかを決めてはいけません。息子さんは学校に行きたいのですから、そのように環境調整をしましょう」と言われました。以来、小2から中2まで、繰り返し学校側と話し合い、その日、学校に行くか行かないかは子どもに決めさせることにしました。

 行きたいという日には、子どもの希望する時間に連れて行くようにしました。この時、子どもは、様々な理由で学校に行けなくても、社会の一員でいたいと願っていることをひしひしと感じました。

 そうこうするうちに、子どもも育ってきました。中学2年になり、親元を離れて学校で1週間の秋田旅行に行ったあと、「ほかの子も自分と同じだとわかった」と言い出し、学校に通うようになりました。今、高校生です。

 ――その間は気が気ではなかったのでしょうか。

 杉山 それは、そうです。平然としてはいられません。苦しいですね。子どもが苦しんでいるのを見るのも悲しいのですが、「この子はいったい将来どうなってしまうんだろう」という不安が大きかった。それに「母親として、私がダメなんじゃないか」とも思って、心は千千に乱れました。私の子育てが間違っているのではないか、いったい何が必要なのだろう、と切羽詰まった思いもずっと抱えていました。

 間違った子育てをしてはいけない、ちゃんとしなきゃいけない、でもどうすればいいのだろう、と。

 その一方で、先ほども言いましたが、坂井先生は「不登校と才能はコインの表裏である」と言いました。確かに息子は「お母さん、僕は教室にいると顔だけになってしまう。それでも我慢していると、やがて鼻の頭しか残らない」と、まるで実存の崩壊みたいなことを小2のときに口にしました。

 詩が好きだったり、演劇や歌を歌うことも好きだったりしました。学校に行きにくいのに、人前で表現することが好きなのです。

 当時目を患い、視力を失っていた坂井先生は何度か息子の学校まで出向き、「学校に行けないというのがコインの表裏だ」ということを担任に説明してくださいました。担任の先生もそのように息子を理解してくださいました。私自身もまた、そうしたことを通じて、子供の存在を信じることができるようになりました。不登校のことで子供がダメだとか思うのではなく、「うちの子にはこの子独特の魅力や力がある」と思えたのです。

 息子に限らず、型におさまらない子供というのは、実はたくさんいるのだろうと思います。いまの学校は、そういう子どもたちが生きにくいのだろうと思います。

 息子への対応でとても助かったのが、『ネグレクト』を書き終わった直後に息子の不登校が起きたということです。本を書きながら、私は母親の「孤立化」ということを繰り返し考えていました。段ボールに入れて我が子を餓死させてしまったお母さんは実は、自分自身も同じような虐待を受けた経験をしていた。さらにその母親もそうだった。そんな「虐待の連鎖」の家庭の出身なのですが、

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