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[6]残業代ゼロが招く「働き手脱落社会」

竹信三恵子 ジャーナリスト、和光大学名誉教授

 政府の産業競争力会議で「残業代ゼロ」制度の検討が始まった。労働基準法では原則1日8時間などの労働時間の制限があり、これを超えた場合には残業代を払わなければならない。これまで、この対象から外されるのは管理監督者など自分で労働時間を決められる働き手に限られていた。それを一般の労働者にも広げようという案だ。

 興味深いのは、検討のもとになった同会議民間議員の提出文書が、が今回の措置によって「意欲と能力のある働く個人(男性・女性、若者、高齢者など)の全員参加」を目指す、としている点だ。すなわち、労働時間規制をやめて成果で評価する→労働時間規制がなくなるので自分で労働時間を決められる→生産性が高くて仕事が早く終わる働き手や、子育てのために労働時間を柔軟に決めたい女性、長時間労働を敬遠する高齢者や若者などは働きやすくなる→「意欲と能力のある」個人が全員参加できるようになる、というわけだ。

 確かに、子育てや介護など、家庭との両立ができる働き方の整備は急務だ。過労死する若者が目立ち、高齢者が体力に合わせて働ける働き方も少ない事態は解決しなければならない。だが、労働時間の歯止めをなくし、成果で評価することでこれらは実現するのか。

 数年前、20代の総合職女性に取材したことがある。勤め先の先物会社は成果主義で、顧客獲得のノルマを達成するまで帰れず、ついに体調を崩して退職した。「もう日本の会社では働きたくない」と彼女は留学した。「意欲も能力もある」彼女が働き続けられなかったのは、8時間の労働時間規制のせいではない。成果の達成まで無限定に働かなければならない制度のためだった。

 あるシングルファーザーからは、「まともな時間に子どもに晩御飯を食べさせようと思ったら、買い物と調理の時間を入れて毎日午後5時の退社は不可欠」と聞いた。彼が働き続けるために必要だったのは労働時間短縮あって、

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