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[34]日本には、日本の道がある・・・自主防衛論はどこに?

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

 安倍政権が、集団的自衛権の行使を、日本国憲法の改定をともなわず、行政権を代表するに過ぎない内閣が、憲法解釈を変更するだけで可能にしようとの議論が大詰めに近づいているようである。

 しかし、集団的自衛権の行使に対する賛成論、反対論の多くは、ともに些末な法律論に終始しているのが実状ではないか。その前提になる日本国家の防衛論、広義の政治・外交論、戦略論は、鳴りを潜めているように見える。

 集団的自衛権の行使賛成派は、究極的には、世界の各地で米国と軍事行動を共にすることに賛成の立場をとることを意味する。

 率直に言えば、日本の国家安全保障には直接に関係がない場でも、米国ワシントンの軍事・外交エリート集団の意思決定に、日本国家、国民、自衛隊員の生命を犠牲として差し出すことにつながる。

 この米国ワシントンの軍事・外交エリート集団が、神のように「不可謬」なら問題はない。しかし、その所作が、米国自体の多くの国民から「愚行」の繰り返しと非難されているのが実状である。

 今世紀に入ってからの米国の軍事・外交を知的に引率したとされるネオ・コンの論客ロバート・ケーガン氏などは、膨大な人的犠牲、広大な廃墟を残しただけで、しかも何らの反省もないと強く非難されている(ちなみに、今次のウクライナ紛争の主要出演者であるビクトリア・ヌーランド米国国務省国務次官補・欧州ユーラシア問題担当は、ケーガン夫人である)。

 米国ワシントンの軍事・外交エリート集団の「愚行」の具体的な結末の一つは、最近のイラク情勢の急変を見ればすぐに分かる。

 日本国内では、サッカーのワールド・カップの大報道の陰に隠れて余り目立たないが、イラク戦争を仕掛けた米英のマスコミでは、先週から常時トップ扱いでの大騒ぎの報道が続いている。

 要するに、日本の集団的自衛権行使容認派がやろうとしていることは、米国の「愚行」の坩堝(ルツボ)の中に、自ら進んで頭から突っ込むリスクを冒すに等しいのだ。これは、歴代の自民党政権でさえ、野党との連携プレーまで駆使して賢明に回避してきたことだ。

 集団的自衛権の行使に対する反対派も、

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