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モデルなき消費の行方と「アイス・バケツ・チャレンジ」の意味

田中洋 中央大学ビジネススクール教授

消費トレンドを予測すること

米国発の氷水かぶって難病支援するキャンペーンはネットで広まった。ソフトバンクの孫正義社長らもかぶった米国発の氷水かぶって難病支援するキャンペーンはネットで広まった。ソフトバンクの孫正義社長らもかぶった。これも新しいトレンドのつくられ方だ

 ある企業の方から先日、これからの消費がどうなるかと質問された。私が消費者行動論やマーケティングを専門にしているからだとおっしゃる。良くある誤解なのだが、マーケティング畑の消費者行動論研究者で、日本人の消費が今後どうなるかとか、消費のトレンドがどうなるか、などというテーマについて専門的に研究している人はほとんどいない。そのような研究をしたとしても、研究として認められる確率はごく低いし、研究者集団の中で評価される可能性はあまりないからだ。

 私自身も消費トレンドというテーマを研究しているわけではない。しかし、ジャーナリズムや実務家から意見を求められれば、なにがしかのコメントすることがある。なぜかと言えば、実務上でそのようなニーズがあることは認めるし、実務家にとって何事かヒントになることが言えればいい、と思うからだ。例えば、自動車会社は5年から10年先の消費者のライフスタイルを探る試みを常に行っている。新車の開発のためには長期的な視点が必要とされるためだ。

 私には「これからはこのようなトレンドが流行になります」というような積極的な「予言」はできない。できることと言えば、消費者行動論で用いられてきた概念や理論を使って「理論的に」言えそうなことを述べるまでだ()。

 ここでは、現代の消費について「私にも言えそうな」ことを書いてみよう。それは「失われた消費モデル」ということだ。

生活様式と消費

 消費活動は消費者が自由に好きなように行われるわけではない。消費者は常に、所得や社会的規範や慣習・文化のような何らかの制限や枠組みのなかで消費を行っている。のみならず、消費者は常にある「様式」あるいはパターンのなかで消費を行っている。

 例えば、あるパーティにTシャツとジーンズで出かけたとする。これはこうしたカジュアルな服装がそのパーティにふさわしい、あるいは許されると判断してのことだ。「カジュアル」な服装というものは、現代のある種の支配的な生活様式の一部である。

 仮にそのパーティがフォーマルな服装をドレスコードとしていて、それに反発する気持ちでカジュアルな服装で出席したとしても、その人はなお、特定の消費様式の中でふるまっていることになる。コードに反発することはそのコードが指し示す秩序があって始めて成り立つ行動であり、そのコードを肯定していることに等しいからだ。

 この例で示したように、我々は流行やモードに従っていても反発していても、そこから抜け出すことはできない。また我々を捉えている生活様式というものも、意識化することはさらに難しい。

モダンリビングという様式

 現代の支配的な生活様式のひとつの例は「モダンリビング」である。

 シンプルなナチュラルな家具、機能的で美的なデザインで設計された照明機器、マイルドなカラーリング、合理的な部屋のレイアウト…我々が今日住んでいるマンションや住宅の多くはこうしたモダンリビングである。こうした生活のイメージを形成してきたのはスエーデンなどの北欧的な生活スタイルである。

 Lofgren(1994)によれば、こうした北欧の生活スタイルは、1920-30年代のスェーデンに端を発している。スェーデンは福祉国家として、住宅環境の重要性が認識されており、家造りに時間とお金を投資する習慣が形成されていた。

 この過程では部屋ごとにインテリアとして異なった雰囲気をつくりだすことが重要視されていた。この結果、

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