憎悪の本当の対象は、「学問・知・書物」?!理論的な説明では乗り越えられない現実
2014年12月11日
「香山さんに質問。戦後生まれの人間がいつまでも戦争責任だの植民地支配だの言われ続けることは、日本人に対する不利益・差別に該当しないの?」
マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2011年、単行本版は10年)の第9章「たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ」では、まさにこの問題、「前の世代の不正を謝罪し、補償する意味や必要はあるのか」というテーマが戦争責任を例に論じられていた。
では、この質問も大学の私のゼミか何かで学生から発せられたものなのだろうか?
そうではない。これはある日、ツイッターで会ったこともない相手から、投げかられた問いなのである。その人は、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる保守思想の持ち主、というよりは、日々、韓国や中国の“不正”やら“特権”やらを糾弾し続け、ヘイトスピーチデモのみならず現政権に対しても厳しい意見を述べる人たちを「サヨク」としてあざ笑うような発言を繰り返す人たちのあいだでは名の知れた有名人なのだそうだ。たしかに彼がひとことツイートするたび、何十人、何百人がそれをリツイート機能で拡散し、「その通りですね」といった賛辞が寄せられる。
しかし、私はその人がツイッターで名乗っている名前が本名なのかペンネームなのかも知らなければ、もちろんどんな顔をして何歳で職業は何なのかもわからない。調査不足と言われればそれまでだが、少なくともツイッターのプロフィールには自己紹介めいたことは何も書かれていない。
いや、問題はそこではない。ツイッターは匿名で誰もが気軽に自分の思いや考えを発信し、面識があるなしにかかわらず、そこにアカウントを持っている人にメッセージを送ることができるツールだ。もちろんメッセージが送ってもそれが読まれるかどうか、レスポンスが来るかどうかは相手次第なのだが、だからこそ「読んでもらえればラッキー」という感じで躊躇なくメッセージを送れるのもツイッターの良さと言えるだろう。
だから、私が顔も知らない相手から冒頭のような質問を突然、もらったとしても、それじたいは何の不思議もないのである。相手が「ネトウヨ」だろうと、中学生だろうと100歳だろうと、それじたい驚くことではない。
私は、ツイッターで届くメッセージにはできる限り答えを返すようにしている。とはいえ、実は、そうするようになったのはごく最近、ここ数か月のことだ。メッセージには私への批判や攻撃に近いものも少なくなく、それを読むと当然、いい気持ちはしない。私の知人のいわゆるリベラル派の学者や作家たちの中にも、「ネット上の悪口やツイッターやフェイスブックでのネガティブコメントはいっさい見ない」という人が少なくない。彼らの多くは「傷つくのが怖い」のではなくて、「そこで気持ちが落ち込んでエネルギーを消耗するのは時間のムダだから」と言う。私もなんとなく「そうだな」と思い、これまではツイッターの「リプライ」や「メンション」と呼ばれるメッセージ欄にはほとんど目をやったこともなかった。
しかし、今年の夏頃、ある日ふと気づいたのだ。
――私ももう54歳だ。これまで批判から目を背けがちだったが、それで何かいいことがあっただろうか。それに、診察室では何年も治療関係を築いてきた患者さんから、突然、「先生のことはずっと信用していませんでした。別の医者にかかります」などと告白され、落ち込んだり傷ついたりすることもしばしばある。それに比べたら、ネット上で批判されることくらい、大したことはないのではないだろうか。
どんなメッセージにも時間の許す限りで返答するようになったのは、それ以降だ。
自分へのメッセージ欄を改めてじっくり眺めてみると、予想できたことではあったが、そのほとんどが批判というより罵詈雑言であることに気づかされた。二人称の多くは「あんた」か「おまえ」。「医者失格」「国に帰れ」といったメールや手紙でもしばしば見られるおなじみのフレーズが並ぶ。
最初はさすがに「ひどいな」と怒りも感じたが、じっと見つめているうちにそれらもただの文字配列にしか見えなくなってくる。「バカ」は「バ」と「カ」、「売国奴」は「売」と「国」と「奴」という具合だ。別にそれらの文字が私に殴りかかるわけでもカネを強奪していくわけでもない。つまり、どんなにひどいことを言われてもこちらには何も実害はないのだ。それもネットの良さであろう。
私はその人たちに、
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