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日本人人質殺害で考える途上国への渡航リスク

安倍政権の外交戦略で状況は変化、首相は公邸で常時リスクに備えを

小原篤次 大学教員(国際経済、経済政策、金融)

 「先生、学生が留学を不安に思っているみたいです」――。

 学生は中東やアフリカへの留学ではないものの、関係者に理由を尋ねると、過激派グループ「イスラム国」による日本人人質問題が背景にあった。安全度や公衆衛生意識の高い日本、しかも地方都市から海外留学を考えれば、海外渡航に不安がよぎるのも十分に理解できる。

 筆者は海外渡航を初めて30年以上になるが、外務省が「危険」指定をしない国・地域を含めて、額の汗をぬぐうような経験は数えきれない。今回、2人の殺害という最悪の結果に至った人質問題を考えるとき、日本人のリスク許容度も冷静に考える必要があると感じている。

 ただし今回の事件は、アルジェリアでプラント建設に携わった日揮社員の事件とも異なる極めて特殊なケースである。殺害予告前には人質に関する報道も少なかった。これを一般化して邦人保護を論じ、再発防止策を議論することの危険性さえ禁じ得ない。

 今回は途上国におけるリスクを考えながら、人質事件と安倍首相の関係についても言及したい。

テロや伝染病などのリスク

 まず、海外渡航の一般のリスクを考えていく。筆者自身の経験では、学生、ジャーナリスト、ビジネスマン、研究者と仕事や立場が変わっても、海外渡航、特に開発途上国への渡航は気を抜けないものだというのが実感だ。

拡大図1

 世界には200ほどの国がある。外務省は海外安全ページを通じて4段階で色分けして警鐘を鳴らしている(図1)。警鐘がない地域・国は西欧、北欧、北米のほか、アジアや南米・中東・アフリカでは一部の国に限られている。

 アジアでは、韓国、台湾、モンゴル、ベトナムなどで、中東はアラブ首長国、カタール、オマーンである。世界銀行の分類では、高所得国や中所得国に限られている。同銀行が算出するビジネス環境指標では、「イスラム国」と名乗るグループによって人質になり殺害された後藤健二さん、湯川遥菜さんが行方不明になったシリアは175位、その下位に、ミャンマー(177位)、アフガニスタン(183位)、南スーダン(186位)、エリトリア(189位)など14カ国が並んでいる。

 外務省から、退避勧告の一つ前の渡航自粛の指示が出れば原則として、企業のほか、政府関係者の出張もそれに従わざるを得ない。広い意味の安全度には、テロだけではなく、エボラ出血熱や鳥インフルエンザのような伝染病も含まれる。

 国際機関やNGOの職員を経て大学教員になった知人から、「渡航の許可が出ない」との不満を聞かされることがある。途上国現地での活動経験を持つ教員が多数いるような大学や学部はまずない。筆者の経験では現地リスクを見極めるため、出張ではなく休暇(短期語学研修)で渡航が認められたことがある。これは会社の方針ではなく、担当者と役職者との信頼関係でぎりぎり実現した窮余の策だった。

 商社、資源・エネルギーのほか、日揮のようなプラント企業、安倍政権が強化する戦略援助に関係する企業は別にして、外務省が、リスクが高いとする地域に企業を積極的に派遣することは考えにくい。安倍政権が多少、邦人保護を強化しても、それで派遣先での安全性が高まると考えている経験者は少ないだろう。

キャリアのため、紛争地域を希望したNGOスタッフ

 他方、紛争地域に入る人間を取り巻く環境は、学生に限らず多くの日本人にとって、水道や電気などのライフラインさえ想像を超えている。アジア留学後、20年以上、NGOで災害や難民支援活動にあたる女性は一時、「アフガニスタンか南スーダン」での活動を希望し、その目標が達成した。つまり紛争地域を経験すると、NGOとしてのキャリアが高まると考えたためだ。

 希望がかない国内NGOから紛争地域に派遣された彼女は現在、国際NGOスタッフとしてミャンマーで勤務している。武装の私兵に守られ、防弾車での移動が必要とされる活動を1年間、紛争地域を経験した。

 エリトリア出身のジャーナリスト兼研究者は「母国で仕事をするのは危険過ぎる」として留学で滞在したアジアにそのままとどまっている。もちろん霞が関、国際機関、大使館のデスクではなく、フィールドで情報収集や人脈構築に当たるタイプの外交官も当然ながら危険や誘惑と背中合わせだろう。

 もっとも、フリーランスや期限付きの雇用関係で海外業務に従事する人からは、組織に守られない人間のリスク補償は、大きな組織に所属する人間とは比べものにならないとの指摘を受けるだろう。

「イスラム国」を名指しした安倍首相のカイロ演説

 アルジェリアの人質事件、そして今回の人質殺害事件に心を痛める日本の世論は、海外邦人救出強化を口実に、強い日本を訴える政策や主張に同調する危険性がある。

 「日本を元気にする会」の松田公太代表は1月28日の参院本会議で、安倍晋三首相のエジプト・カイロでの演説について、英訳された結果ニュアンスが変わり、人質事件を誘発した可能性があると主張した。これに対し、首相は「英文は和文に忠実な形で訳されており、指摘は当たらない」と否定したと報じられている。

 外務省で公開されている演説では、「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と記されている。政府関係者、首相随行記者のほか、46社の企業幹部が同行している。ISILはイラク・レバントのイスラム国を指す。

相手に口実を与えた可能性

 上記は和文の引用であるが、イスラム国への戦いを支援しているとの口実をテロリストたちに与えてしまった可能性は否定できない。また、この発言だけに注目するのではなく、 ・・・続きを読む
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筆者

小原篤次

小原篤次(おはら・あつじ) 大学教員(国際経済、経済政策、金融)

長崎県立大学国際情報学部准教授。1961年、大阪府堺市生まれ。同志社大学法学部卒、国立フィリピン大学修士。朝日新聞社、チェースマンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)、みずほセキュリティーズアジア初代株式調査部長、みずほ証券リサーチ&コンサルティング投資調査部副部長を経て現職。【2015年12月WEBRONZA退任】

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