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[7]“おバカ”の時代がやって来た

「わからないほうがよい、何も知らなくてもよい」

香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授

 2000年代に入って本格化した第三次新書ブームは、当時、世界を席捲しつつあった新自由主義的の中でもとくに市場原理主義と見事にドッキングし、「売れる本(だけ)が良い本」というシンプルな法則を生み出していく。

 そして、その「売れる本」の最大の条件は「とにかくわかりやすいこと」だと、多くの出版社や編集者たちは“発見”していくのである。

時代の空気をつかみ取った小泉純一郎氏

 2001年から06年まで5年以上にわたって続いた小泉政権を率いた小泉純一郎氏は、その時代の雰囲気を見事につかみ取っていた。

 内閣総理大臣に就任したその月、大相撲夏場所の千秋楽に出かけた小泉氏が、前日、負定期的った大ケガを押して出場し優勝した横綱・貴乃花に総理大臣杯を授与する際、大き声でこう言ったのは有名な話だ。

小泉純一郎首相(当時)から総理大臣杯を受け取る横綱貴乃花。けがを押して出場し、優勝決定戦で横綱武蔵丸を破った=2001年5月27日、国技館

 「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!おめでとう!」

 その後も小泉氏はさまざまな“名言”を残すが、いずれも「短く、わかりやすい」のが特徴であった。そして、自民党総裁としての二期の任期を満了して退任するにあたって、定期的に発行していたメールマガジンのコラムをこう締めくくった。

 「現在の私の心境を短歌に託してみました。

 『ありがとう 支えてくれて ありがとう 激励 協力 只々感謝』

 メルマガ愛読者、そして国民のみなさん、5年間ありがとうございました。」
(「らいおんは~と 小泉総理のメッセージ」『小泉内閣メールマガジン』第250号、2006年9月21日)

 「わかりやすくなければ伝わらない」ということを、小泉氏は知り尽くしていたのだろう。

 しかし、「わかりやすくなければ読まれない、売れない」から、その後、おかしな方向への流れが生まれる。

“おバカブーム”の到来

 それは、「(読者などの)受け手はわからなくてよい、わかろうとしなくてもよい」、さらには「わからないほうがよい、何も知らなくてもよい」という“おバカブーム”である。

 侮蔑語として日常会話で使うのはタブーだった「バカ」という言葉の使用が一気に解禁されたのは、脳科学者・養老孟司氏の『バカの壁』(新潮新書)がミリオンセラーとなったことが大きなきっかけだといわれている。この本が出たのは2003年、まさに第三次新書ブームの頂点に立つ一冊だ。

 本書で言う「バカ」とは、他人を「あの人はバカ」とその無能さをあざけるために言うときのそれとは違う。自分で情報を取捨選択して「知りたいことしか知ろうとしない」、いまで言うところの反知性主義的な態度が「バカの壁」とされて戒められているのだ。ところがその後、「バカ」という言葉がひとり歩きし始め、『まれに見るバカ』『まれに見るバカ女』(ちなみに後者には筆者も含まれている)といった本が次々出るなど、他人を名指して、本来の意味で「バカ」と呼ぶことへの抵抗も薄らいでいった。

 そんな中、テレビの世界であるできごとが起きる。

 島田紳助氏が司会の『クイズ!ヘキサゴンⅡ』という人気番組があった。2005年に始まり、毎回多数の芸能人が出演してクイズに答え、チームで得点を競い合う形式のクイズ番組だが、06年秋頃からその路線が大きく変わる。優勝チームより最下位チームが、正解よりも無知や非常識に基づく誤答や珍回答がクローズアップされるようになっていったのだ。司会の島田氏がそこに注目して取り上げてみたところ、視聴率が格段にアップしたのがきっかけと言われている。

「知識ないと言われてもいい」

 そして、この番組では珍回答を連発する出演者が“おバカタレント”と呼ばれ、常連となってどんどん人気を獲得していった。また島田氏は持ち前のプロデュース能力を発揮して、

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