2016年06月08日
6月5日、在日コリアンの差別扇動を行うヘイトスピーチを繰り返していた団体が川崎市で予定していたデモが、開始直後に中止となった。デモに反対する数百人もの市民が詰めかける中、警察が主催者らを説得しこれに応じた形だ。
この動きに対して、「表現の自由への侵害」などと異議を申し立てる人がいる。これに対しては、デモに先立つ2日、横浜地裁川崎支部が下したデモ禁止の仮処分決定の論旨の一部を紹介すれば説明が十分につくはずだ。
「差別的言動はもっぱら差別的意識を助長、誘発する目的で、公然と生命や財産に危害を加えると告知することなどを考慮すれば、違法性は顕著で、もはや集会や表現の自由の保障の範囲外であることは明らかだ」
さらにツイッター上では、このようにしてヘイトデモが封じ込められると差別は「地に潜るだけでますますひどくなる」といった意見も散見される。
「反対と騒ぐことが差別者を刺激してエスカレートさせる」「そっとしておけば誰も気づかないうちに終わるはず」という〝差別扇動は放置で解決"論は、部落差別問題で「寝た子を起こすな理論」と長く呼ばれてきたものとほぼ同じと考えられるだろう。
この「差別への反対運動を起こしてわざわざ〝寝た子を起こす"必要はない」という説が唱えられたのは明治30年代という説もあるから、相当に古い歴史を持つといえる。
この「寝た子を起こすな」理論では決して差別はなくならないことは、さまざまな研究などで明らかにされているが、ここでは昨年度の「人権に関する国家公務員研修」でのジャーナリストの稲積謙次郎氏の言葉を、少々長くなるが紹介したい。
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