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[32]「帰宅する権利」を支えぬ社会

電通問題の影にあるものを見つめよ

竹信三恵子 ジャーナリスト、和光大学名誉教授

 電通女性社員の過労自殺は、電通への厚労省による強制捜査にまで発展した。メディアでは、ネット広告という分野の過酷さや、広告業界の体質、電通の企業風土など、さまざまな理由が挙げられている。

 だが、その影にあるのは、会社が社員の私生活まで強く拘束することがあたり前とされ、その「帰宅する権利」を支える機能がきわめて弱い日本社会の風土だ。

長時間労働を自己責任に転嫁

電通の本社ビルから段ボールを運び出す厚労省の職員=2016年11月7日電通の本社ビルから段ボールを運び出す厚労省の職員=2016年11月7日

 電通過労自死事件では、月100時間を越す残業が横行し、亡くなった社員は上司から、「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」(中略)「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」と言われていたと報じられている。

 電通では、社員の行動規範とも言われる「鬼十則」で「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」といった仕事至上主義が貫かれ、1991年にも24歳の男性社員がパワハラや長時間労働で過労自殺し、2000年の最高裁判決で、ようやく企業が労働時間を管理することを義務づける判決が出た。

 そんな企業風土で、長時間労働が、会社の労務管理の問題ではなく、当事者の能力のなさとして自己責任に転化させられていった様子が、自殺した女性の上司の発言から浮かんでくる。

電通に限った話ではない

 だが、こうした企業風土が電通に限ったものではないことは、様々な過労死事件を思い起こせば明らかだろう。

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