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日銀はなぜ2%インフレ達成に失敗したのか

デフレが日本の低成長の原因ではない。問題設定そのものが間違っていた

河野龍太郎 BNPパリバ証券株式会社経済調査本部長チーフエコノミスト

「一か八かの賭けだ」とわかっていた

会見する日銀の黒田東彦総裁拡大会見する日銀の黒田東彦総裁

 2年で2%のインフレ達成を掲げ、黒田東彦日銀総裁がQQE(Quantitative=量的、Qualitative=質的、Easing=緩和、量的質的緩和策)をスタートしたのは、2013年4月だった。

 2014年4月にはコアCPI(消費者物価指数)の前年比は1.5%まで上昇し、当初はすべてが好調に見えた。しかし、3年半が経過した今年10月のコアCPI上昇率はマイナス0.4%と、水面下に沈む。原油価格下落も影響しているが、エネルギー価格を除いた新型コアもわずか0.3%の上昇にとどまる。本稿では、日本銀行が2%インフレの早期達成に失敗した理由を探る。

 黒田総裁は、消費増税の後遺症、原油価格の大幅下落、新興国経済の低迷などを理由に掲げる。ただ、実はQQEをスタートした2013年4月の段階で、目標達成が一か八かの賭けであることはわかっていた。

 2013年4月当時、日本がゼロインフレに陥った1996年以降のフィリップス・カーブ=縦軸にインフレ率(物価上昇率)、横軸に失業率をとった時の両者の関係を示す曲線=を描くと、2%インフレに対応する需給ギャップは5%となっていた。つまり、2%インフレ達成には、日銀が金融緩和で総需要を刺激し、需給ギャップを、5%を超える水準まで改善させる必要があった。しかし、90年代初頭のバブルのピークですら、需給ギャップは4%で、それ以上に景気を過熱させるのは非現実である。

「期待への働きかけ」を採用した

 そこで黒田総裁が採用したのが、期待への働きかけだ。

 具体的には、円安に誘導することで、インフレ予想の上昇を狙った。もともと、実物経済における人々のインフレ予想は、需給ギャップの改善に応じ、緩やかにしか上昇しない。一方、金融市場は、政策変更に直ちに反応し、先読みして資産価格は変化する。とりわけ、為替レートは一方向に動きやすく、バブルが醸成されやすい。

 黒田総裁は、日銀のバランスシートを膨(ふく)らませ、特に海外投資家の期待に強く働きかけることで、円安バブルの醸成を狙ったのである。

 円安に誘導すれば、輸入物価上昇でインフレが高まるだけでなく、輸出数量も増加する。そうなれば、需給ギャップの改善もインフレ上昇に寄与する。QQE開始で円安が加速し、前述した通り、2014年春先には、CPIコアは1.5%まで上昇し、すべてがうまく行っていたように見えた。

生じた大きな誤算

 だが、大きな誤算が生じる。日銀は、大幅円安で輸出数量が増加し、生産拡大、雇用者所得の増加を想定していたが、実質で30%もの大幅円安にもかかわらず、輸出数量はまったく増えなかったのである。

 円安で輸入物価が上昇しても、雇用者所得の改善で相殺(そうさい)されれば、消費も回復するはず。そう見込んだが、実際には、円安で輸出企業の利益が膨らむだけで、輸出数量はまったく増えず、雇用者所得の増加も限られ、実質購買力が悪化した家計は消費を抑制した。

 大幅円安にも関わらず輸出数量がまったく増えなかった理由はいくつかあるが、底流には少子高齢化による人手不足がある。

 2014年初頭には日本経済は完全雇用に入り、循環的にも人手不足が強まった。従来、円安が進めば、現地通貨ベースでの価格を切り下げ、輸出数量を増やそうとしたが、人手不足で増産が難しいため、輸出企業は現地価格を据え置き、数量増ではなく、利益率向上を図ったのである。低成長でも人手不足となったのは、潜在成長率そのものがゼロ近傍まで低下したためである。

実質購買力が損なわれていた家計に追い打ちをかけた

 黒田総裁は消費増税の後遺症を強調するが、消費増税はQQEを行う前から予定されていたことだ。消費増税で実質購買力が損なわれていた家計に、円安誘導で追い打ちをかけたというのが実態である。

 円安誘導は、支出性向の高い家計部門から、支出性向の低い輸出部門への所得移転をもたらし、景気刺激どころか景気抑制になってしまった。

 本来、経済が完全雇用に達すれば、望ましいのは円安ではなく円高である。原油安でインフレ上昇が遅れたと言うが、そもそも原油安は家計の実質購買力を改善させるプラスのショックである。円安によって原油安効果を損ねたというのが実態だろう。

家計から生じた強い反発

 これらのこととも大きく関係するが、2014年末に1ドル120円に近づく頃から、円安によるコスト増で食料品価格などが上昇し、家計から強い反発が生じた。輸出企業も円安による原材料価格上昇で不満を強めた。円高進展に強い拒否反応を日本社会が示すのは常であったが、円安に強い反発が現れたというのは戦後初めての現象である。

 実質ベースで見ると1970年代前半以来の超円安になっていたことが原因だが、高齢化の進展で退職者など円安デメリットを被る人が増えていたことも大きく影響した。

 円安への社会の反発が募った結果、2015年6月には、円安を誘導してきた黒田総裁自身が国会で1ドル125円を超える円安を牽制せざるを得なくなった。

 QQEによる円安醸成・株高シナリオに乗ってきた外人投資家からすれば、円安バブルを煽っていた張本人が方針を転換したと映り、その後、為替レートは円高方向に向かう。円安バブル醸成でインフレを一気呵成に2%に上昇させる戦略は、この段階で事実上破綻したのである。

「起死回生策」としてのマイナス金利政策

 起死回生策として1月末にマイナス金利政策を採用するが、急激な長期金利低下をもたらし、今度は逆ザヤを懸念した金融機関から強い反発を食らう。かつて見たことがないほどの金融政策批判が展開された。

 また、2016年年初からは円安修正が見られ、実質購買力の増加から消費回復が期待されていたが、マイナス金利政策導入で消費者心理が悪化し、消費回復はさらに遠のく。これらが、わずか8カ月で政策転換に日銀が追い込まれた理由である。

円安が続けば目標は達成されたか?

 仮に円安が続けば、2%インフレは達成されただろうか。

 トランプ次期大統領の掲げる大規模財政と、FRB(米連邦準備制度理事会)の継続利上げへの思惑から、現在、ドル高円安が進んでおり、先行きを考える上で重要な論点である。

 今回のQQEの実験から判断すると、仮に円安で一時的に2%インフレを達成しても、持続は難しいと思われる。1.5%までインフレが上昇した2014年春の段階で、消費者物価の588品目を調べると、2012年末から価格が上昇したのは円安の影響を受けたものばかりで、サービスを中心に半数の品目はまったく価格は動いていない。企業のインフレ予想にほとんど影響しなかったということである。

 さらに、日本経済がデフレに陥った1998年から調べると、やはりサービスを中心に約半数の品目の価格は過去20年間、全く動いていない。ゼロインフレ予想は相当根強い。いわば、慣習としてゼロインフレが定着している。

 インフレ醸成が容易ではないことがわかったからこそ、日銀は2%インフレの早期達成にこだわらなくなったのである。達成が容易ではなく、政策ツールも限られ、政策の副作用も強まっているのなら、2%インフレの達成を急がないというのは当然の帰結だろう。

 新しい政策の枠組みでは、経済が大きく悪化したり、大幅な円高の進展がない限り、2%インフレの達成が遅れるという理由だけでは追加緩和は行われない。

日本の成長率が低い本当の原因は

 さらに過去3年半のQQEの実験で明らかになったのは、総需要不足やデフレが日本の低成長の原因ではないということである。小幅なプラス成長の下で、人手不足は深刻化し、有効求人倍率は90年代初頭のバブル期のピークまで上昇している。今や企業にとり、最大の問題は人手不足である。

 成長率が低いのは、潜在成長率そのものが低下しているためである。デフレによって成長が抑えられているから、インフレを高めなければいけないという問題設定そのものが間違っていたということだ。デフレではない状況にはなったと黒田総裁は言うが、そうした状況でも、成長率は低いままである。

 本論では触れなかったが、筆者自身は、極端な金融政策の長期化・固定化が資源配分や所得分配を大きく歪(ゆが)め、日本の低い潜在成長率をさらに低下させていると懸念している。経済が完全雇用にあるのだから、資源配分や所得分配を歪める裁量的なマクロ安定化政策は徐々に手じまいすべきであろう。

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筆者

河野龍太郎

河野龍太郎(こうの・りゅうたろう) BNPパリバ証券株式会社経済調査本部長チーフエコノミスト

1987年横浜国立大学経済学部卒業。住友銀行(現三井住友銀行)、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)、第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。財務省財政制度等審議会専門委員、内閣官房国家戦略室「中期的な財政運営に関する検討会」メンバーなどを歴任。日本経済研究センター ESPフォーキャスト調査で2014年度より2年連続で総合成績優秀フォーキャスター(予測的中率の高かった5名)に選出。