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長寿時代の「看取り図」

幸せな最期(QOD)を考える

土堤内昭雄 ニッセイ基礎研究所主任研究員

多死社会のQOD

拡大老人医療施設で暮らす認知症の妻(右)の手を握りながら、優しく語りかける夫=京都府内
 日本は人口減少時代を迎えている。死亡数が出生数を上回る人口の自然減が続いているからだ。少子化が進み出生数が減る一方、高齢化の進展により死亡数は増えている。厚生労働省が公表した人口動態統計では、2016年の出生数は初めて100万人を下回り、死亡数は130万人を超えた。少子高齢化が進む現在の日本は、典型的な少産多死社会を迎えているのである。

 平均寿命が延びる一方で健康寿命との差は広がり、長寿化時代の高齢者の要介護期間は長くなり、高齢者にとって「死」にいたる介護のプロセスはより切実な問題になった。高齢社会では老老介護も増え、親や兄弟姉妹、配偶者など、身近な家族の最期に向き合う状況も大きく変わった。高齢者がどのように「死」を迎えるのかは、高齢期をどう生きるのかと同じで、長寿時代の人生の幸せな最期を考えることが一層重要になっている。

 特に終末期医療のあり方は、どのように「死」を迎えるのかというQOD(Quality of Death)を規定する。最期を迎える場所を医療機関、介護施設、在宅のいずれにするのか、経鼻栄養や胃ろうなど延命治療を行うのかなど、病状や家族・住宅事情など一人ひとりが置かれた状況によって選択肢は異なる。認知症患者が増加し、どのように自らの最期を迎えたいかという意思を、だれに、いつ、どのように伝えるのかも大きな課題だ。

どこで「死」を迎えるのか

 厚生労働省「人口動態統計」をみると、2015年に死亡した129万人のうち医療機関である病院と診療所で死亡した人(以下「病院死」)が76.6%、福祉施設である老人保健施設と老人ホームで死亡した人が8.6%、自宅で死亡した人(以下「在宅死」)が12.7%である。今とは逆に1951年の「病院死」は11.6%、老人ホームを含む「在宅死」は82.5%だった。その後は「病院死」が増加し、1976年以降は「在宅死」を上回っている。

 その背景には戦後の医療の発展および皆保険制度により多数の国民が過大な負担なく終末期医療を享受できたことがある。また、核家族化の進展で一人暮らし高齢者が増え、在宅での看取(みと)りが難しくなったこともあろう。高齢化が進展した今日、自宅で最期を迎えたいと願う高齢者が増えているが、訪問診療や訪問介護が十分ではないために、なおも「病院死」が8割近くを占めているのかもしれない。

 かつて「在宅死」が普通だった時代、多くの人が親や祖父母など近しい人の最期を自宅で看取り、その経験から「死」の迎え方を学ぶことができた。今では看取りを病院に委ね、家族や自らの最期について考える機会が乏しい時代になってしまった。長生きすれば体に不具合が生じるのは当然だ。「老化」は病気ではないように、長寿による「老衰」は徐々に身体機能を低下させながら「死」に向かう自然のプロセスなのだ。

 医療の目的は、人間を総体としてより良い状態に回復させることであり、個別の検査結果に基づき対症療法を重ねることだけではない。医療が発展した現在、 ・・・続きを読む
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筆者

土堤内昭雄

土堤内昭雄(どてうち・あきお) ニッセイ基礎研究所主任研究員

1977年京都大学工学部建築系学科卒業、1985年マサチューセッツ工科大学大学院高等工学研究プログラム修了。1988年ニッセイ基礎研究所入社。2013年東京工業大学大学院博士後期課程(社会工学専攻)満期退学。 「少子高齢化・人口減少とまちづくり」、「コミュニティ・NPOと市民社会」、「男女共同参画とライフデザイン」等に関する調査・研究および講演・執筆を行う。厚生労働省社会保障審議会児童部会委員(2008年~2014年)、順天堂大学国際教養学部非常勤講師(2015年度~)等を務める。著書に『父親が子育てに出会う時』(筒井書房)、『「人口減少」で読み解く時代』(ぎょうせい)など。

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