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残業を守ることで不利益を受ける、非正規労働者

正社員の座の固定化を解消するために、残業を罰則化せよ

赤木智弘 フリーライター

 以前から、一部の職種で導入が検討されている「残業代ゼロ法案」こと「高度プロフェッショナル制度」。最近これを連合が受け入れるという判断を示したことで大きく騒がれた。最終的にこの容認を見送るとして、受け入れ方針を転換したが、いずれ受け入れざるをえないのは時間の問題であろう。

残業代ゼロ法案の何が悪いのか

 さて、僕にはそもそも残業代ゼロ法案の何が悪いのか、さっぱりわからない。

 最初は一部のプロフェッショナルに限定されても、いずれ全ての職種に適用されるという懸念は、労働者派遣法が当初は13業務だったものが、26業務に拡大、そして最終的に原則自由化されたという変遷を見ても、まぁその通りだろうなと思う。だが、僕が残業代ゼロ法案に対して思うのは別にそういうことではない。そうではなく、そもそも残業をすることで、残業代を得られるということがおかしいのであり、残業代などゼロで当たり前だと思っているだけのことだ。

 そもそも残業があること自体が間違いである。終業時間までに仕事を終わらせるのが労働者の役目であり、同じく終業時間までに終わる仕事を振るのが経営層の役目だ。残業は罰則でなければならない。

 確かに、割増の残業代を支払わなければならないことは、経営者に対しては一見、罰則として働いているように見える。しかし一方で、労働者については残業をすればするほど、割増賃金があるのだから得をする形式になってしまっている。

残業の存在は、労使双方にとって利益

 残業の存在というのは、労働者側にとっては極めて有利に働く。それは割増賃金のことに加えて、残業を労働者が受け入れることによって、解雇リスクを回避できるということがある。

 仕事というのは、決して1年中均等にあるわけではない。忙しい時期と暇な時期がある。もし忙しい時期に、忙しいからと労働者を増員すれば、暇な時期には不要な労働者が出てきて、整理解雇をせざるを得なくなる。この時、労働者は解雇リスクを負うことになる。

 しかし、もし忙しい時期に遅くまで会社に残って残業をすることができるならば、忙しい時期に新しい人を入れる必要がなくなり、暇な時の解雇リスクをなくすことができる。

 そして実はこれは経営側も同じで、経営側にとっては忙しい時期に残業代を支払ったほうが、いちいち繁閑が変わるたびに人を入れ替えて、新しく入ってきた人に新人教育を施しては解雇するよりも、仕事の質は安定するし、賃金も安く済むのである。そうした意味で、割増賃金は経営側に対する罰則としてすら機能していないのである。このように残業というのは、労使の双方にとって効率の良いWin-Winの関係であると言える。

残業の制度化で不利になる非正規労働者

自転車を押して家路につく男性。非正規の警備員で、生活は苦しい=東京都内
 さて、では労使ともに幸せな制度である残業を守ることによって不利益を受けるのは一体誰だろうか?それは、正社員の仕事を得たくても得られない非正規労働者である。

 残業がなければ、非正規労働者は忙しいときに仕事に入り込み、スキルを身に付けながらともすれば正規から仕事を奪うことのできる可能性がある。同じような仕事をしながら、その待遇には圧倒的格差が存在する正規と非正規。その壁を越えうる可能性は繁閑の差であるのに、その可能性が残業の制度化によって失われている。このことに気づくことができる人は極めて少ない。

 本来、労働市場というのは、労働者同士、そして経営同士の競争によって培われるはずである。しかし、残業を制度化することによって、競争が存在できずに市場の重要な機能が失われているのである。

 これは多くの人が勘違いをしていることだが、みんなが一生懸命働けば、仕事は増えるとか仕事を得られると思う人が多い。しかし実際には一生懸命さと仕事の量は決して比例しない。むしろ労働効率を上げ、より多くの利益を得るためには人手による労働を機械化することが求められており、経営側は人手を減らしたいと常に考えている。

 最近、AIが人の知能を超える「シンギュラリティ」という話が出てきているが、シンギュラリティによって起こることとは、要は人手とAIの交代である。

 経済アナリストなどは主な顧客である正社員たちの顔色を見て「運転手やコンビニ店員などがAIに置き換えられるだろう」などと、まっとうに考えればありえない情報をしたり顔で話している。トラックの運転手なら、積み荷の上げ下ろしは誰がやるのか、コンビニ店員なら商品の補充は誰がやるのかと考えれば、人手を単純には自動運転やICタグに置き換えられないのは分かるだろう。

AIに置き換えられるのは正社員の仕事

 実際にシンギュラリティが訪れたときにAIに置き換えられるのは、事務やシステム設計、投資先の査定といった、肉体を使わずともすむ正社員の仕事である。それは人工知能と人工肉体、どちらが先に人間を超えるかを考えれば、さほど難しい予測ではない。
すなわちシンギュラリティにより、今後ますます正社員の労働というのは減っていくことが予想される。故に正社員の労働というのは、今後ますます「希少な資源」になっていくのである。

残業が正社員労働という資源の独占の手段に

 そもそも正社員の座が貴重な資源だというのは、多くの子供たちが正社員目指して子供の頃から必死に勉強をしているのを見れば、明らかだ。仕事が誰にでも得られるものであれば、

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