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英公文書が伝える社会の変容(1)

「見よ、これが救貧院の実態だ」19世紀、英国の貧困を伝えるポスター

小林恭子 在英ジャーナリスト

拡大英国国立公文書館の外観(筆者撮影)
 英国は究極の格差社会だ。上流、中流、労働者階級の区分けがいまだ残り、労働者階級よりもさらに下の貧困層になると生活環境が非常に厳しくなる。社会全体の支援体制が整う前の19世紀、貧困救済の施策は不十分で、自力で生活を支えられない人は救貧院に送られた。その生活の実態を英国国立公文書館にある資料でたどってみた。

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 昨年来、筆者は歴史的文書の調査をするため、ロンドン南西部にある英国国立公文書館(英公文書館、The National Archives)に足しげく通うようになった。英公文書館はその前身の「パブリック・レコード・オフィス」の時代を含めると、約180年の歴史を持つ。英国の人口は日本の約半分だが、国立公文書館の職員数は英国は日本の約10倍、所蔵量では約3倍になる。

 文書の背後にある物語をまとめて、『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』(中公新書ラクレ)として上梓した。公文書は社会の変容を伝える貴重な資料だ。本では未収録のいくつかのエピソードを3回にわたって紹介したい。

オリバー・ツイストがいた場所は

 「お願いです。どうかもう少し食べ物を下さい」。

 10歳にも満たないと思わ れる孤児オリバーが、空っぽになった皿を差し出す。

 いかにも頼りなげなオリバーが、恐る恐るお代わりを要求する場面を映画『オリバー!』(1968年)で目にした方は多いのではないだろうか。原作はチャールズ・ディケンズが書いた小説『オリバー・ツイスト』(1838年)である。

 オリバーが暮らしていたのが、貧困者が衣食住を提供される代わりに働くことを義務化される救貧院(「ワークハウス」)だ。

 貧困者のための包括的な法律が英国で成立したのはエリザベス朝の時代だった。それまでの貧困救済策をまとめて法制化した貧困法(1602年)の下、救貧はキリスト教の各教区の役割であることが明記された。一定の不動産を持つ住民が少しずつ税金(「貧困税」)を納め、これで福祉を賄った。

 18世紀末には「スピーンハムランド体制」が広がってゆく。これはイングランド東部バークシャー州スピーンハムランドで始まったことから、そう呼ばれるようになった救済制度で、パンの価格によって支援提供額を決定する仕組みだ。当時、穀物の価格が上がり、生活困窮に苦しむ低所得層を支援するために始まった。一家を支えるのに十分な量のパンを買えないほどパンの値段が上がった場合、貧困税の中から収入の不足分を支援した。

 雇用主にとっては、労働者に低賃金を与えても不足分は貧困税がカバーしてくれる、都合が良い体制だ。一方、こうした所得支援は貧困層の勤労意欲をそぐという意見もあり、貧困税を払う中高所得層にとっては不満の種だった。

 18世紀初期までに産業革命が進み、北部の工業都市を中心に人口が急激に増加したことで、それぞれの教区が面倒を見る体制は維持が難しくなってきた。

 ナポレオン戦争(1803-15年、ナポレオンが指揮するフランスとその打倒を目的とした対仏大同盟――英露オーストリア、プロイセンなどの列強――との戦い)後の不況によって、農業従事者や小規模なビジネス経営者の生活も大きな打撃を受けた。

 1832年、王立委員会が設置され、貧困法の改革に乗り出した。

 これを受けて、1834年、新貧困法が成立する。新法の下、五体満足な貧困層に対する貧困税を使った支援は停止されることになった。自力で生活を維持できない貧困者は救貧院で働くことを奨励された。各教区は「貧困法組合」として再編された。ロンドンのサマーセットハウスには「貧困法部」が設置され、各地域の貧困対策を監督した。

救貧院の実態とは

 救貧院は、仕事がなく貧困状態にある人が労働の代わりに食事と寝床を得ることができる場所だ。どんな手順を踏んで作業者になるのだろうか。

 まず、到着した最初の日、洋服をすべて脱ぐように言われ、救貧院管理者の監視の下でお風呂に入る。制服が与えられるため、外出の際にはすぐに救貧院にいる人だということが分かるようになっていた。もし家族と一緒だった場合、大人の男性・女性・子供に分けられ、それぞれ別々の場所で生活した。

 仕事の内容は主として単純作業で、石を割る、電信線から麻を取り除く、骨を砕いて肥料を作る、大きな金属の爪(「スパイク」)を使って縄をほどいたりするなど。朝は6時から夜8時ごろまで、奴隷のように働かされていたとも言われている。

 長時間勤務、制服の着用、家族の絆の断ち切りと言えば、監視付きの刑務所にいるようなものだ。個人としての尊厳をギリギリまで奪われた生活だったと言えよう。

 公文書館には、新貧困法成立前後に作られたとみられる、救貧院の一場面を示すポスターが保管されている。

 ポスターで一番目立つのが、上に書かれている文字だ。「新救貧法下、新たな救貧院はこうなっている。下の絵を見てほしい」。 

 救貧院の広々とした部屋の中にいる人々の様子が見える。題字のすぐ下左側には「民生委員たちの命令による、救いがたい人々への処罰の様子」とあり、 ・・・続きを読む
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筆者

小林恭子

小林恭子(こばやし・ぎんこ) 在英ジャーナリスト

秋田県生まれ。1981年、成城大学文芸学部芸術学科卒業(映画専攻)。外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州のメディア事情や政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。「新聞研究」(日本新聞協会)、「Galac」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。著書に『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新書)』(共著、洋泉社)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)。

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