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矢野財務次官は間違ったことを言ったのか?〜公務員はロボットではない

政治主導の限界と傷つく霞が関の能力

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 矢野康治財務次官の文芸春秋への寄稿が問題となっている。自民党総裁選や衆院選をめぐる政策提案について「ばらまき合戦のようだ」と批判した。また、財政の現状を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものだ」と例え、数十兆円規模の経済対策や消費税率引下げが主張されることについて「国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてくる」と指摘した。

財務省官房長時代の矢野康治氏(現・財務事務次官)。2018年4月、衆院財務金融委で答弁。左は麻生財務相(当時)財務省官房長時代の矢野康治氏(現・財務事務次官)。2018年4月、衆院財務金融委で答弁。左は麻生財務相(当時)

 これに対して、政治家サイドから強い批判が行われている。高市早苗自民党政調会長は「基礎的財政収支にこだわり、困っている人を助けないのはばかげた話だ」と反論した。さらに、同会長は「小ばかにしたような話だ。次官室から見える景色と私たち(国会議員)が歩いて聞いてくる声とは全然違う」とも述べている。矢野氏の更迭を主張している自民党幹部もいるという。18歳未満の国民全てに10万円を支給すべきと提案している山口那津男公明党代表は「政治は国民の声を受け止めて合意をつくる立場にある」と批判している。

 矢野氏が危惧した通り、自民党の政権公約から、二年前まであった財政再建の実行という文言は消されている。野党は全て、消費税の5%への引き下げを提案している。どの党も、国家財政など心配していないようだ。これに対し、アメリカの連邦議会には、財政赤字について厳しい目を向ける政党や議員たちが存在する。

矢野財務次官は間違ったことを言ったのか?

 矢野氏は個人的な見解を述べただけだと言う。財政赤字についてはさまざまな意見があることは承知しているが、私も個人的見解として、氏の心配を共有する。

 日本の債務残高(財政赤字)は1200兆円を超え、GDPの2.6倍強となっている。これは、各国のGDP比で、アメリカの1.3倍、ドイツの0.7倍に比べて、異常に高い。アメリカでさえ、国民の10人に6人は、財政赤字は「将来世代に対する不公正な遺産”unfair legacy to the future generations”」と思っている(10月7日アメリカPBS放送)。政治家の皆さんは国民の声を聞いていると言うが、このまま財政赤字を放置することが、国民の声とは思えない。

 困っている人を救済するのは、政治の役割だ。本当に困っている人になら、10万円どころか100万円だって払ってよい。所得が2千万円ある北海道の酪農家に、毎年6百万円以上が交付されていることを考えると、安すぎるくらいだ。これは「ばらまき」ではない。「ばらまき」と批判されるのは、一律に交付するので、困っていない人にも交付されるからだ。払っても多くは貯金に回るだけで、消費には回らず、経済の浮揚効果もないだろう。

 それでも、本当に必要な金を積み上げていくらになるという提案ならまだわかる。しかし、何が必要かも議論しないで、初めから“数十兆円規模”の対策が必要だというのは、それこそ国民を愚弄していないか?

 「ただのランチ」というものはない。財政赤字(国債による借金)によって過大に消費しているのが現状だ。もちろん、国債が将来のGDPにつながるような社会資本形成に貢献するもの(建設国債)であれば、否定すべきではない。しかし、今の国債の多くは単なる赤字国債である。

 この借金を解消するには、二つしか方法がない。将来世代が生産するGDPのかなりを自分たちで消費しないで、我々の借金を払ってくれることだ。もう一つは、激しいインフレ、金利の上昇が起きて、国債の価格が暴落し、国の借金がチャラになることだ。このとき負担するのは、現在国債を保有している人たち(多くは金融機関)だ。これには先例がある。戦前の国債はこれで帳消しにされた。我が家には、紙切れとなった国債がたくさん残されていた。しかし、今の国債保有状況でこのような事態が起きれば、大変な金融不安(恐慌)が生じる恐れがある。

政治主導の限界

 財政赤字自体を議論するのが、この小論の目的ではない。議論したいのは、公務員は意見を言ってはいけないのかという点である。その前提として、まず“政治主導”について議論しよう。

自民党の政権公約発表会見を行う高市早苗政調会長(2021年10月12日、自民党本部で)自民党の政権公約発表会見を行う高市早苗政調会長(2021年10月12日、自民党本部で)

 “政治主導”という言葉には、抗しがたく、否定できない響きがある。どの国でも、政策が国民による選挙によって選ばれるのではない公務員によって考案され実施されることに批判がある。ヨーロッパでも、選挙で選ばれない欧州員会の官僚によってEUの意思決定が行われることは、“民主主義の赤字”として批判されてきた。このため、近年では、かつてはほとんど権限を持たなかった欧州議会の発言力を高める改革が行われてきた。

 今回の矢野氏の寄稿に対しても、選挙の洗礼を受けていない公務員が政治家による政策決定に異を唱えるのはけしからんという感情があるようだ。矢野氏の寄稿を第二次世界大戦に突き進んだ軍部の行動に例えるような評論家の主張もあった。横暴な役人の暴走だと言いたいのだろう。

 しかし、選挙で選ばれた政治家が主張する個々の政策が、果たして国民の声を代弁しているのだろうか。

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