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【ポスト・デジタル革命の才人たち】サエキけんぞうさんインタビュー 「メディア環境と『ロック魂』」 (上)――ロックとは何かを突き止めたい

聞き手:服部桂・朝日新聞ジャーナリスト学校シニア研究員

デジタル時代の進展とともに拡散する「ロック(ロックンロール)」イメージ。新しいメディアを使いこなす若者たちの音楽だったロックは、メディア環境の激変とともにどこへ向かうのか。また、音楽を聴く行為、音楽を生み出す活動の本質とは。『ロックとメディア社会』(新泉社)を出版したばかりの作詞家・ミュージシャンのサエキけんぞう氏に話を聞いた。 

サエキけんぞう(作詞家、ミュージシャン) 1958年千葉県生まれ。県立千葉高校、徳島大学歯学部に在学中から音楽活動に入り、ハルメンズ、パール兄弟を結成。歯科医勤務を経て、沢田研二、小泉今日子、モーニング娘。などに作詞家として楽曲を提供。NHKのテレビ番組「ソリトン」司会のほか、「TOgether」などのイベントを立ち上げ、音楽プロデューサー、文筆家としても活動している。著書に『歯科医のロック』(1988年、角川文庫)、『さよなら!セブンティーズ』(2007年、クリタ舎)、『スパムメール大賞』(2009年、文春文庫)。公式サイト「saekingdom」はhttp://saekingdom.com/

◆大学で「ロックの歴史」を考えた◆

――まずは、サエキさんの新しい著書の話を伺いたいと思います。10月に出たばかりですね。

サエキ 『ロックとメディア社会』(新泉社)というタイトルです。

――サエキさんがこれまで出してきた音楽関係の本とは少し違った性格のものですね。

サエキ そうですね。今までは自分の主観を披露するようなエッセーや、エッセーと評論をブレンドしたようなものが中心でしたが、今回はロックミュージックの年代的な事実を踏まえた内容です。

サエキけんぞうさん

 というのも、2010年代にもなると、ロックという音楽運動の全体像どころか、ビートルズのメンバーの名前さえ知らないような若者が音楽を聴くようになっていますからね。そもそもこの本は、2010年度に獨協大学でやった1クール13回の講義を元にしたのですが、学生たちの反応を見ていると、ロックの歴史をほとんど知らない。ロックは既に若者たちの生活の中心にあるものではなくなっていて、アニメやアイドルの話をした方が、ウケがいい。ロックなんて既成事実の押し付けじゃないか、というと言いすぎかもしれませんが、とにかく、これまでのサブカルチャーやメディア社会の骨格が若い人たちに共有されない時代が来ている。ならばロックの歴史を一度きちんとまとめておかないといけないな、と思ったのがきっかけです。この本のような作業が急務だと思いながら書き下ろしました。

 大学の講義は毎回、ゲストをお招きした対論形式でしたから、あくまでこの本の土台でしかありませんが、例えば、ワールド・ミュージックに詳しいサラーム海上さん、アニメの専門家の冨田明宏さん、ヒップホップの高木完さんといったその世界の第一人者をお呼びしていたので、議論の背景となる知識もきちんと裏付けのあるものにしようと努めました。人文学系の特別講義の需要はどの大学でも結構あるようで、獨協大学では専攻横断型のメディア論、総合学習という位置づけでしたが、立教大学では「キャリア教育と人文学」という講座で「ミュージシャンとしての生き方」という切り口で話しました。

◆ロックを聴く若者が社会を変えてきた◆

――欧米や日本のメディアの議論をずっと見てきた者としては、メディア論の中に音楽をどう位置付けるか、という話が今日お聞きしたいことの一つです。率直に言って、「音楽は音大で教えるもの」「エンタメなんて大学で学ぶものじゃない」という偏見もまだまだあると思いますが、現代社会において音楽がメディアに占める位置は非常に重要なはずです。

サエキ その点、私を講義に呼んでくださった獨協大学の岡村圭子先生の専門は社会学で、団地の研究者でもあります。日本の高度経済成長とともに各地に建てられた団地の暮らしを、過去だけでなく実地に現在進行形で関わろうという活動もされています。WEBRONZAの執筆陣の一人、速水健朗さんの「団地団」を紹介したら、互いの交流も深まり始めているようです。ですから、社会学者の領域を荒らそうというよりも、むしろ一人のミュージシャンとして協力しながら、エルヴィス・プレスリー以降のロックがメディア社会にもたらした影響の大きさ、そしてそうした新しいメディア社会が世界レベルで果たした役割をきちんと考えてみたいと思いました。

 特に、個々のミュージシャンやムーブメントの音楽性について語る文章はたくさん流通していますが、技術論をしっかり踏まえたものは少ない。そして、レコードのレーベルや人間関係など、各論や各論の各論、各論の各論の…といった細かい議論ばかりではないか。そうした議論の立て方はフェアじゃない、自分の好きなロックを語ることとは違うという違和感も常々ありました。もちろん、そうした専門的な議論も素晴らしいことだから大いにやればいい。でも、ロックを聴く若者がその国の社会構成の中でどういう役割を果たしたか。若者の生態が変わることで社会がどのように変化したか。そうした20世紀の先進国を中心に起きた出来事を、何らかのキーワードで解き明かすためにも、ロックを語る作業が不可欠なのではないか。少なくとも、もっと行われてもいいのではないか。漠然と、そう思っていました。

◆2010年代のロックの可能性は?◆

――若い人たちが離れて行っている今こそ、ロックを語らなければならないということですね。私も例えば、菊地成孔さんとアルバート・アイラーの東京大学の講義録(『東京大学のアルバート・アイラー――東大ジャズ講義録・歴史編』文春文庫)を読んでわくわくしたのですが、サエキさんの今度の本はそんなロックを聴きかじっただけの読者にも、戦後の歴史やメディアの歴史を背景としたロックの影響が非常によく理解できるいい本です。音楽マニアでなくとも誰もが楽しめる本になっていると思います。

サエキ ありがとうございます。読者対象に学生を意識しているので、全体の大きな流れをおさえることと、若者たちが苦手なルーツの話をバランスよく構成しました。学生たちはフラットにどんどんリンクを張っていく横型の発想は得意なのですが、縦型のルーツ志向には余り意識が行かない。それをきちんと提示したいと思っていました。また、音楽ファン向けには例えば、モッズ(1960年代前半に英国で隆盛した音楽とファッションを中心にしたムーブメント)の影響力について、英国のバンド文化がどのような精神的背景を持っていたのか、という点を明らかにしようとしています。要は、米国のバンドと英国のバンドのどこが違うのかということですね。

 私はロックというジャンルは終わってしまった過去のものとは思っていません。この本の最後に少しだけちらつかせたのですが、ロックは実は歴史的に何度も終わりかけました。第一の「死」は1970年代初頭にビートルズが解散した頃。ビートルズ後期から始まったサイケデリックロックやニューロックといったムーブメントも駄目になった時期で、当時の雑誌を見ると「ロックは終わりだ」という見方が提起されていました。

 その次は、パンクロックが出てくる直前の1976年頃。この頃には、米国のロック関係者が厭世的になって、まさに「ホテル・カリフォルニア」の歌詞のような雰囲気がありました(注:We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine)。三つ目は、80年代の終わりにニルヴァーナが登場する前、つまりプログラミングされたコンピュータ・サウンドが行くところまで行きついて、行き詰まった時期です。メン・アット・ワークやインエクセス、スクリッティ・ポリッティなどの高純度な音がバンドの生音のよさを駆逐してしまい、その先が見えない状態でした。ところが、ニルヴァーナがいきなり「降誕」して大ヒット。生音の時代が復権しました。こんな風に、ロックは何らかのタイミングで来るべき時が来ると揺り戻しが来る音楽です。逆に言えば、そうした揺り戻しが起きなければ終わってしまう。

クレイジーケンバンドのリーダー、横山剣さん

 もちろん、ロックだけを永遠に続く不磨の音楽として神格化すればいいかというと、それも違う。既にあるものを前提として歴史を振り返ったり、事実を認識したりするのではなく、新しいメディアやメディアに関する技術については、予測した通りにならないことの方が多いということを示したつもりです。この本でも、5.1チャンネルが普及する前に試みられた4チャンネルステレオやデジタル・マイクロ・カセット(1990年代初頭に発売された切手大のデジタルメディア)など色々な例を出しました。現在、人気のアニメ音楽もロックの影響を下敷きにした要素が多いなど、ロックのスピリッツは形を変えて生きているとも言えます。だから伝統が息絶えつつあるとは思わないけれど、先行きは楽観視できない、予断を許さないという認識です。

――今の人たちは、ロックというとまず内田裕也を思い浮かべるかもしれない。そして、それとJ-POPは別のものだと思うでしょうね。

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