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新連載【論壇女子部が行く!】 古市憲寿(上)――いまの若い世代は、自然な形で上の世代と繋がっていける

聞き手=論壇女子部

「論壇女子部」連載の記念すべき第1回にインタビューさせていただいたのは、26歳の社会学者・古市憲寿さんです。最近、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります――僕らの介護不安に答えてください』(光文社新書)と、立て続けに話題作を刊行された古市さん。私たちと同世代である若き社会学者は一体どんな方なのだろう、今後の論壇女子部の活動にも何かヒントをもらえれば!と思いインタビューに伺いました。

古市憲寿さんと論壇女子部

<論壇女子部とは?> 

論壇誌や思想、批評などのジャンルを偏愛する20代の女性を中心とした部活です。出版社や書店に勤めるメンバーが中心となり、今までとは違った層の読者に論壇での議論を届けるべく活動を始めました。特に自分たちと同世代の女性に向けて、社会構造や歴史を踏まえた視点から、個人の生活について考えを深めるきっかけとなるようなコンテンツを発信していきたいと考えています。

●あだ名は「ポエちゃん」

――本日はよろしくお願いします。最初に素朴な質問なんですが、古市さんのあだ名は「ポエちゃん」だそうですけれど、どんな由来からなんですか?

古市 僕は大学にAO入試で入ったんですが、その時アピールに使ったのが、高校の時にとった詩の賞なんです。それでポエトリーとかポエムの「ポエ」に。だから慶応には「ポエさん」って呼んでくれる先生もいます(笑)。

――なるほど! なんだかしっくりくる気がします(笑)。その高校生の時に書かれた詩はどういうものだったんですか?

古市 いやぁ、高校生特有の、なんか暗い感じの(笑)。暗いというか、無常ですね。朝の駅前でふと思ったことです。朝の駅ってすごいたくさんの人が行きかっているじゃないですか。その人たちって、その場においては非常に匿名的な集団に見えるけど、本当はきちんと固有名をもった存在で、それぞれの人生があり、家族がいて、帰る場所がある。それが急に不思議だなと思ったんです。一方で、その集団は、100年前にも100年後にも存在しない。あまりにも一瞬で匿名的にすべて通り過ぎていくけど、でもその一人一人には名前がある存在だという、そのとき好きだった『方丈記』にわかりやすく影響を受けた詩です。

――それは今後どこかに載る予定はありますか?

古市 いや、載せていただけるところはないと思いますけど(笑)。

●たまたま社会学と出会いました

――詩の話はこのぐらいにして(笑)、古市さんはもともと社会学に興味があったんでしょうか。

古市 いえ、そうでもないんです。学部生のとき、とろうと思っていたCGモデリングというコンピューターグラフィクスに関する授業に履修選考で落ちてしまったので、たまたま同じ時間にやっていた小熊英二さんの社会学の授業をとったのがきっかけです。

――その後、小熊英二さんのゼミに入られて?

古市 いえ、ゼミには入ってないです。だって怖いんで(笑)。一度オフィスアワーという、先生が研究室で学生の質問に答えてくれる時間に質問しに行ったときも、小熊先生はこっちに目線をまったく合わせないで本を読みながら、全てに朗々と答えてくれる。すごいなと思ったけど、怖いなと思って。だから大きいクラスでの授業しかとってないです。昨年、東大の駒場祭で対談を企画していただいたんですけど、きちんと話したのはそれが初めてでした。『絶望の国の幸福な若者たち』の帯も、ここは本来推薦文のはずなのに、なぜかディスられてる(ディスる=disrespect、攻撃されている)。だけど、そういったすごくフェアなところ、クールなところをひっくるめて、尊敬しています。遠くから、尊敬しています。

――帯では確かに檄を飛ばされていますね(笑)。古市さんは上野千鶴子先生や本田由紀先生と共著を出されていますが、そのお二方のほうが身近で指導していただいている感じですか?

古市 そうですね、上野先生や本田先生のほうが気軽に相談できますね。小熊先生には全然気軽に相談できないです。

――古市さんはそのお三方からの影響が大きいのかなと思うのですが、それぞれどういったスピリッツを受け継がれたのでしょうか。

古市 大学内に閉じていない、ということがひとつあると思います。

――それはキーポイントですね。

古市 本田先生はちゃんと学会発表もするし、大学内での教育指導も熱心だけど、積極的に一般に向けて発言をするし、それに労をいとわない。本田先生なんて、あんな忙しいのに夏の合宿の幹事まで自分でしちゃうんですよ。上野先生も同様に、信じられないくらい教育熱心なのにコンスタントに研究成果を発表し続けている。

――古市さんは会社でお仕事もされているんですよね? ご著書の著者プロフィールには、会社のお仕事内容は「マーケティングとIT戦略立案」と書いてありますが。

古市 会社自体は意外と色々なところで何でもやったりしています。NDA(Non-Disclosure Agreement、秘密保持契約)の関係で、ここでは絶対に書けないようなことばかりですけど。一緒にやってる社長が僕の1学年上で28歳なんですけど、高校生の頃からもう10年以上ずっと仕事をしている人です。だからいろんな人脈もあるし、いろんな仕事のノウハウもわかってる。

ふるいち・のりとし 1985年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』、『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります――僕らの介護不安に答えてください』(共著)、『希望難民ご一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)、『遠足型消費の時代――なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』(共著)。

――今、会社の仕事の比重はどれくらいですか?

古市 会社の仕事は、その天才社長の話相手をしているだけという感じですが(笑)。まあ忙しい時は忙しいので、比重としては会社の仕事の方が大きいですかね。アイデンティティとしても、中心は会社です。

――ご研究でのフィールドワークの結果が活きたりするんでしょうか。

古市 そうですね。マーケティングのレポートを書くときも、資料をたくさん集めて、まとめて、圧縮してというのは研究と同じ作業なので、まったく乖離したことをやっている感じはしないですね。

――マルチですよね。

古市 僕たちの会社のコアメンバーは3人しかいないんです。これ以上は人を抱えないで、マネジメントコストをかけないようにしている。逆に、仕事のたびにいろんな人と繋がっていくことができる。人数を増やして大きい会社を目指す気持ちは全然ないです。そうじゃなくて、大事なものを身近なところで抱えて、自分たちだけでできないことは、仲のよい人たちの会社とアウトソーシングし合っていく。ひとつの新しい働き方だと思います。

――今後アカデミシャン一本でやっていくつもりはないということでしょうか。

古市 あんまり考えたことないですね。大学院だけにいてもつまらない。だって、人生ってリセットもできないし、コンティニューもないんですよ? だったらせめて複数の場所に所属していたいじゃないですか。

――古市さんの研究は「脱成長」を前提にされていると思うんですけれど、古市さんの働き方自体が、こういう社会でこれからどう働いていくかということの、ひとつの実践なんでしょうか。

古市 うーん、「脱成長」って意識はないんですけどね。だって、明日から資本主義やめました、経済成長やめました、なんて不可能なんで、「脱成長」にこの社会が向かうとしても少なくともソフトランディングしかあり得ない。次に出そうとしているのは、僕や周りの人たちの働き方についての本です。講談社の『g2』という雑誌にも何度か書かせていただいたんですが、それをまとめつつ「僕たちはこういうふうに生きてるんだ」っていう本を来年前半には出せたらなあと思っています。

●卒論は、ノルウェーの育児政策!

――学部時代に、ノルウェーに一年間留学されているんですよね。

古市 静養してただけなんで。

――(笑)。北欧を見た時にはどのように感じられましたか?

古市 ノルウェーって、まるで老人のような国なんですね。みんながゆっくり暮らしてる。労働時間も一応8時間労働だけど、みんな早めに帰っちゃう。それで長い夜を友人や家族と過ごす。一時期、国会でずっと話し合われたのが「最長労働時間を6時間にした方がいいんじゃないか」ということ。本当に6時間労働になったら、国民全員が老後みたいなものですよね。

――なるほど。古市さんって、すごく日本を客観的に見ているなって思うんですけれど、それは留学の影響が大きいんですか?

古市 それは、やっぱり社会学を勉強しているからでしょうね。もっとも、社会学に限らず、研究というのはいろんなものを相対化する力になると思います。人間って普通に生きてたら、「今・ここ・自分」しか生きられないじゃないですか。「ここ」という場所で、「今」という時間に「自分」としてしか存在するしかない。でも人は、想像することで他人にもなれるし、違う時代、過去も未来も生きることができる。そのなかでも社会学という学問は、当たり前と思ってることを疑うのに一番適してると思うんですよね。だから「客観的」というのは、そういう理由が大きいと思います。まあ、僕の書いているものを社会学って認めたくない人もいるみたいなんで、別に「社会学」にこだわりはないんですけど。

●いまの若者には怒りさえもない

――最近は「日本の若者」について言及されることも多いですよね。9月に出された『絶望の国の幸福な若者たち』では、「不満はないけれども不安がある若者」という分析が、なるほどなと思いました。サッカーのワールドカップの盛り上がりに関しても「ナショナリズム」とはちょっと違う気がするし、何なんだろうと思っていたんですが、古市さんの著書を読ませていただいて、「そういうことだったのか」と納得したんです。若者論を書こうと思ったのはどういう理由からなんですか?

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