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本をきっかけに、違う世界に橋をかける

鈴木京一 朝日新聞文化くらし編集部ラジオ・テレビ担当部長

 昨年担当するようになるまで、実は新聞読書面の熱心な読者ではなかった。それまでも文化面など本を読まなければいけない持ち場を担当してきたし、普通のサラリーマンよりは読んできた方だとは思うが、本の情報は、もっぱらブログやツイッターなどネット情報から得ていた。自分にとって必要な本を新聞の読書面で初めて知るようでは負けだ、とさえ思っていた。

 ただし読むジャンルはいわゆる人文書に偏っていた。今、自室の自分の書棚を見ても、小説は1%もない。「週刊ブックレビュー」(NHK・BSプレミアム)も人文書をあまり扱わないから、見るようになったのは読書面の仕事をするようになった最近だ。

 おそらくかつての私のように、特定のジャンルしか読まないという読者は今、多いのではないか。昨年休刊した「ぴあ」の最終号には同誌が果たした役割をめぐる声が寄せられているが、その中で鴻上尚史はこう書いている。

 「インターネットで情報を手に入れるようになった僕たちは、自分の目当てのもの、自分の興味あるものしかアクセスしなくなりました。いえ、できなくなりました」「そして、情報と文化のタコツボ化といわれる現象が定着しました。それは、僕たちの人間関係がタコツボ化したことと同じです。異物や未知なる人間と出会うのではなく、自分の知っている、自分の興味のある人間としか会話しない現実と対応します」

 ツイッターを考えればいい。だれをフォローするかによって、私たちはまったく違う世界を生きている。昨年8月24日夜、ツイッターで飛び交った「引退」の文字は多くの人にとって島田紳助を指していたが、私のタイムラインでは、ハロー!プロジェクトのユニットである「スマイレージ」の小川紗季をも指し、「この人はどっちの引退を指しているのか」と考えなければならなかった。

 こんな時代に、新聞やテレビのようなマスメディアが書評を載せる意味は、どこにあるのだろう。

 以前、某書評紙の編集者が「お前が知っている以外の世界の存在を知らせること」と言っているのを読んだことがあるが、その通りだと思うし、新聞書評がかつてほどの権威を失った今、存在意義は島宇宙に、タコツボに橋をかけることにしかないと思う。

 自画自賛になるが、改めて読書面を読むと、自分がなじんだジャンル以外にも豊富な本の世界が広がっていることがわかる。書評委員会のために選書をしていると、こんな本もあったのか、という発見がある。

 問題は

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