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村上春樹『海辺のカフカ』と蜷川幸雄の物語空間とは?

小山内伸 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学)

 国際的に評価の高い作家・村上春樹の長編『海辺のカフカ』が、やはり国際的にも活躍する蜷川幸雄の演出により舞台化された(5月3日~20日、彩の国さいたま芸術劇場)。そこには文学と演劇が融合した幸福な物語空間が生まれた。

 『海辺のカフカ』は2002年に刊行。英米で翻訳が刊行された05年には、ニューヨーク・タイムズが「年間ベストブック10冊」に選ぶなど、世界的にも村上文学の代表作と目される小説だ。

 だが、その舞台化は容易ではないと推測された。なぜなら、この小説は二つの物語が並行して交互に語られ、やがて両者はシンクロしてゆくものの、あくまで暗示的な連関であり、二つの物語のそれぞれの主人公は直接的に出会うことはない。さらにストーリーも、メタファーや無意識、仮説を介して進む。必ずしもリアルな現実としては描かれず、時空のねじれによって結びつく錯綜した物語をどうやって具象化するのか?  期待に胸をふくらませて観劇に行った。

カフカ役の柳楽優弥=撮影・渡部孝弘氏

 「いつか父親を殺し、母と姉と交わる」という不吉な予言を父親から受けた少年カフカ(柳楽優弥)は、15歳の誕生日を期に、厭わしい父と暮らしていた東京都中野区の家を出奔し、四国の私立図書館で過ごす。そこで司書を務める大島さん(長谷川博己)や、悲劇的な過去を持つ謎めいた女性・佐伯さん(田中裕子)と出会い、自らの呪いに向き合うことになる。

 一方、猫と会話ができる老人ナカタさん(木場勝己)は、近所の猫探しを引き受けたことから、中野区でジョニー・ウォーカー(新川将人)を殺すはめに陥り、星野青年(高橋努)の運転するトラックに同乗して、やはり四国に向かう。そして、カーネル・サンダーズ(鳥山昌克)の助力を受けながら「入り口の石」を開ける。

 一見、荒唐無稽な筋立てのように思えるが、カフカ少年の潜在的願望を、ナカタ老人が実行する、というパラレルな構造であることが次第に明らかになる。文学では「依頼と代行」と呼ばれる物語パターンだ。ジョニー・ウォーカーとは、カフカ少年の父親である著名な美術家のメタファーであり、父親は同じ日時に同じ場所で殺されている。その時、カフカ少年は高松で記憶のないまま血にまみれている。

 また、ナカタ老人が「入り口の石」を開けると、カフカ少年は森の迷宮へ入り込む。ナカタ老人は、異界巡りの通路を開く触媒の役割を担っているのだ。

 まず、この上演台本が巧みだ。これは、08年にシカゴのステッペンウルフ劇場で初演されたフランク・ギャラティ脚色版を邦訳(平塚隼人訳)したもので、英語からの逆輸入。ギャラティの脚本は原作に忠実に、長尺の物語の本筋を損なうことなく手際よくまとめてある。

 さらに、蜷川は卓抜な工夫を持ち込んだ。

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