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『おおかみこどもの雨と雪』に描かれた究極の理想の女性像

西森路代 フリーライター

 細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』が8月6日で興行収入16億円を超え、好調のようである。

 この『おおかみこどもの雨と雪』は、大学の講義にいわゆる“もぐり”で来ていた寡黙な青年とヒロインの花が恋に落ちるが、その青年は実はおおかみおとこで、長女の雪と長男の雨が生まれてすぐに亡くなってしまい、その後、花はふたりのおおかみこどもを女手一つで育て上げ、やがて子供たちはそれぞれに成長していくという物語になっている。

 しかし、このシンプルな物語は、見る人の根底にある考え方をいやがおうにも引き出してしまう。いわば、映画『ヘルタースケルター』や木嶋佳苗事件にも通じる、自分と重ね合わせて語りたくなる力があり、だからこそヒットにつながったのだろう。

 それに加え、登場人物が理想の男性、女性像である気がしてならない。おおかみおとこは、田舎から上京し、引っ越し屋で懸命に働き、その合間にもぐりで大学の授業を受けにくるような知識欲のある男性だ。

 寡黙で繊細そうな見かけなのに、実はオオカミの血が混じっている(野獣系?)。いつも首元のよれたTシャツを着ていて、無造作ヘアーが猫背ぎみの薄い身体にマッチしていて、もちろん計算ではないが妙におしゃれである。

『おおかみこどもの雨と雪』 (c)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会

 一方、ヒロインの花は東京の国立大学(一橋大学らしい)に通う才媛。女友達とつるむこともなく、授業はひとりで受けていて、いつも同じパーカーを着ている。しかし地味ながらも美しい容姿を持っていて、何よりもいつでも笑っている。

 どんなにしんどいことがあっても怒らないし、女手ひとつで何もない田舎で子供を育てることになっても、とにかく笑っていて、どんなトラブルがあっても本を読んでひとりで解決する。

 いや、花が女性の想像する「男性から見た理想の女性像」や、これまでのステレオタイプの理想の女性像と違うことは知っている。

 これまでの理想の女性像というと、目鼻立ちの整った100点満点の美人で、爪の先など細部まで手入れが行き届いていて、なにかと気が利いて女子力が高く、家庭的で料理や炊事・洗濯もできてしっかり家を守れる部分もあるけれど、ときには男性が手をさしのべたくなるような弱さも持っている……というものではないだろうか。もちろん、私も長年そういう女性が男性に支持されるのだろうと思っていた。

 しかし、そんな女性が求められていたのは過去の話だ。不況になり、自分ひとりが食っていくのも精いっぱいで、しかも安上がりでひとりで楽しめる娯楽はたくさんあり、家事労働も便利な家電のおかげで負担が少なくなり、彼女や妻がいないことで社会的な偏見を感じることの少なくなった現在、こうした「手をかけた私を見て!」という女性を好む男性がいるとも思えない。いたとしても、バブル世代の残党か余裕のある遊び人くらいのものだろう。

 そんな現在において、そこそこ以上の学歴を持ち、華美なものに興味を持たず、高いお金をかけて自分磨きなんぞをしなくても美しい容姿を持ち、浪費をせず、家計を助ける……というよりも一家を支えるレベルの労働をいとわず、かつ家事労働もこなし、子供も夫の協力無しで育て、なにか困ったことがあっても自分で解決し、どんなことがあっても笑って文句を言わない強いメンタルを持った女性というのは、男性にとって最強の理想像かもしれない。

「そんな女どこにおるんじゃい!」と言いたくなるくらい都合の良い女性像ではあるが、変わりつつある世の中で、「求められている女性像は花だ!」と言っても反論する男性は少ないのではないだろうか。

ロンドン五輪のアーチェリー女子団体で銅メダルを獲得した蟹江美貴。終始笑顔だった

 しかし、この女性像に非常に近い人をテレビで見た。ロンドンオリンピックのアーチェリー女子団体で銅メダルに輝いた蟹ちゃんこと蟹江美貴選手だ。彼女と花との共通点とは「どんなときでも笑顔でいること」。

 もちろん、日本では長らく「女の子は笑顔でいればいいんだよ」とは言われてきた。しかし、過去のそれは、「女は愛嬌」と同じ意味合いであり、可愛く笑っていれば、たいがいのことは許されるという「甘え」も入っていた。

 しかし、花と蟹ちゃんの笑顔に「甘え」はない。

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