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村上春樹が文壇・出版界に与えて続けてきた衝撃とは?

鷲尾賢也 鷲尾賢也(評論家)

 毎年のように噂されている村上春樹のノーベル文学賞が今年も残念な結果になった。いずれ受賞するだろうが、原発事故、隣国との領土紛争、政治の混乱、経済の長期不振……と日本をとりまく環境がよくないなかで、山中伸弥教授に続いて受賞すれば、どれほど日本人を勇気づけたか。また売り上げが年々低減している出版界にとっても、どれほど久しぶりの特需になったことか。干天に慈雨を待っているような書店などの関係者は悔しい思いをしたことだろう。

村上春樹

 ここでは、来年への期待をこめて、村上のスタイル(生き方といってもいい)が文壇や出版界に与えた衝撃(新しさ)に触れてみたい。

 まず注目されることは、初期の長編3部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』講談社)や短編などを除くと、彼の代表作のほとんどが書き下ろしであることだ。つまり、文芸誌への連載とか一挙掲載というかたちはとられていない(第4作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)以後、すべて長編は書き下し)。 

 一般的に、作家はまず文芸誌に執筆し、それを単行本化する。そのプロセスのなかで、さまざまな反応を観察しながら、次のステップに進むというのが通常である。書き下ろしは、作家にとっても出版社にとっても、売れ行きをふくめて大きな冒険だからである。

 長編第5作のミリオンセラー『ノルウェイの森』(講談社)がきっかけなのであろうが、それらの売れ行きが20万部以下になったことはない(実際はもっと多い)。ほとんどがベストセラーにランクインする。そんな怪物は文学史上はじめてである。単行本の後の文庫化まで考えると、出版社における村上の比重は想像を超えて大きい。

 逆にいうと、「群像」「文学界」「新潮」などの文芸誌の存在があらためて問われることになる。毎年、何億円という赤字を計上せざるをえない文芸誌とはいったい何なのだろうか。出版経営者ならずとも、考え込んでしまう。

 また、文芸編集者の役割も問われるだろう。作家との打ち合わせ、取材、作家への締め切り催促、あるいはカンヅメなどという仕事が、村上の場合、あまり必要ない。もちろん、担当者と連絡をとっているのだろうが、待っているとある日原稿が出来上がるという仕組みらしい(編集的労苦が少ないので、村上ほど電子書籍に向いている作家はいないだろう)。手間暇がかからない。酒の付き合いなどを含めた日常的接触もあまりない。 

 それだけではない。村上はいわゆる文壇との接触をほとんどしていないことでも知られている。たしか、文学賞の選考委員を何ひとつ引き受けていないはずだ。自分が受賞した場合は別だろうが、文学賞のパーティなどに姿を見せたことがない。

 また、文芸誌での座談会とか、対談といった仕事もほとんど引き受けていない(形になっているのは、河合隼雄、小沢征爾など自分の関心のある相手に限られている)。インタビューは受けている。しかしそれも、媒体、インタビュアーなどにかなり限定がある。つまり、作家、評論家、編集者、文芸記者などとの業界的(?)な付き合いを意識的に閉ざしているのである。

 なぜそれが可能なのか。

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