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[1]千尋はなぜ豚が両親ではないと見抜けたのか?

『千と千尋の神隠し』で始まった21世紀(上)

浅羽通明

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これはおじさんによるおじさんのための現代アニメ講釈です。我らの近代日本は、この百数十年間、純文学、大衆小説、映画、TVドラマやマンガというかたちで、人間をセカイを描き上げる見事な物語を数多く生み出してきました。この21世紀、そうした時代に即しつつかつ普遍性を帯びた物語は、アニメの分野から多く生まれてきているのではないか? そんな考えに立って、これまで漱石や三島、春樹の、あるいは黒澤や小津の名作についての知識が基本教養とされてきたと同様に、時代を人生を考えるツールとして必須と考えられる現代アニメ、スタジオジブリの名作から京都アニメーション作品までを紹介しその意義(=使い方)を明らかにします

 太った豚が12匹、2列に並べられている。ごてごてとした東洋風デコレーションで飾られた巨大な遊興施設、「湯屋」の玄関前だ。「湯屋」を仕切る魁偉で怪異な容貌の魔女、湯婆婆が、見下すように言う。「この中からお前のお父さんとお母さんを見つけな。チャンスは一度だ。ぴたりと当てたらお前たちは自由だよ」と。

 湯婆婆の背後、湯屋の塀の上、建物の窓辺には、異形の従業員男女や客たちが鈴なりになって事態を見守っている。

 主人公である10歳の少女千尋は、豚たちをじっと見つめた後、ふりむくと湯婆婆に向かって言う。「おばあちゃん、だめ。ここにはお父さんもお母さんもいないもん」と。

 湯婆婆が、強面のまま、「いない? これがお前の答えかい?」と念を押すように尋ねても、千尋はまるで動じずに「うん」と応じる。一瞬の空白の後、豚は6人の蛙の男性従業員と6人の湯女に姿を変え、湯婆婆が手にしていた千尋の労働契約書も消えてしまう。ただ一回のチャンスを見事に切り抜け、湯婆婆の謎かけをやぶった千尋に、豚の姿にさせられていた従業員たちの「おおあたり」の声が響き渡り、湯屋中の者たちの喝采が浴びせられる。

 これは宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』のラスト直前のクライマックスだ。

拡大『千と千尋の神隠し』の公開を前に、作品について語る宮崎駿監督=2001年7月

 この物語の冒頭で、千尋と両親の3人が奇妙な異世界へ迷いこみ、千尋がほんのわずかはぐれていた隙に、父と母は豚の姿にされてしまう。そこから千尋のたったひとりの冒険が始まる。その最終目的は、父母を豚の姿から解放して、3人で元の世界へ帰還することだ。それゆえに、最後に上記のめでたしめでたしがある。

 だが、千尋はなぜ、ここで12匹の豚のなかに、化身した両親はいないとわかったのだろうか?

 これを観客へわからせる伏線が、このアニメーション映画にはあるのだろうか。

 父母が化した豚だけに、ある特徴や符牒を千尋は知っていて、それを探したとか。化けるまえの本来の姿が見えるような能力を千尋がそなえるようになったとか。そういう明白なシーンはないのである。

 そこでマニアたちの間ではさまざまな謎解きが披露されてきたし、ここをあいまいにしたのはこの作品の一欠陥であるとする批評も見られた。

 これから『千と千尋の神隠し』という物語を考察するにあたって、私はこの謎をどう解くかを絶えず頭においておきたいと思う。

■あの「9.11」の日、日本人は「千・千尋」を観ていた

 21世紀の到来を実感した事件というと何だろう。

 やはり2001年9月11日に勃発したアメリカ同時多発テロをおいて他になかろう。世界史年表に長く残るだろうあの事件は、煙を上げて崩壊するツィンタワービルのあの映像ともども私たちの記憶へ黒々と刻まれた。その4月、小泉純一郎政権が鳴りものいりで登場したのだが、21世紀最初の年にあったことといわれて、こちらがすぐ出てくる人がどれだけいるだろうか。

 あの9月11日、日本では、2カ月前の7月20日に公開された長編アニメーション映画『千と千尋の神隠し』が、全国で絶賛上映を続けていた。それは異例のロングランとなって、翌年の春まで続く。興行的にも、興行収入304億円、観客動員数2300万人超えという、日本国内の映画興行成績における、今なお破られていない歴代トップの記録を打ち立てた。しかも、アカデミー賞長編アニメ部門受賞、ベルリン映画祭金熊賞、日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめとする数々の賞に輝いた。

 まさしく『千と千尋の神隠し』は、日本人に21世紀の到来を告げる作品だった。

 前世紀末から世紀が変わる頃、日本は失われた10年と呼ばれた不況のなかにあった。現在、それは失われた二十余年となってなお続いているが。しかし、当時はまだ、昭和末期のバブル時代が、現在ほど遠い過去となったわけではなかった。

 前年(2000年)、「さよなら総中流」と副題された『不平等社会日本』という新書が売れ始めたりしていたが、「下流」「格差」「貧困」といったキーワードはまだ登場していなかった。IT革命という言葉の登場も前年だ。当時、それがまもなくITバブルへと変わると予測できた者がどれだけいただろうか。

 『千と千尋の神隠し』は、そんな時代状況をかなり自覚的に反映しつつ創造された物語として見ることが可能である。


筆者

浅羽通明

浅羽通明(あさば・みちあき) 

1959年、神奈川県生まれ。早稲田大学法学部卒業。みえない大学本舗主宰。著書に『試験のための政治学』(早稲田経営出版)、『ニセ学生マニュアル』3部作(徳間書店)、『大学で何を学ぶか』『思想家志願』『知のハルマゲドン』(小林よしのり氏との共著)『教養論ノート』『右翼と左翼』『昭和三十年代主義』(以上、幻冬舎)、『野望としての教養』(時事通信社)、『時間ループ物語論』(洋泉社)ほか多数。現在、webちくまにて「星新一の思想――とうにユートピアを過ぎて」を好評連載中 http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/