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[1]千尋はなぜ豚が両親ではないと見抜けたのか?

『千と千尋の神隠し』で始まった21世紀(上)

浅羽通明

 冒頭、登場するヒロイン、10歳の少女千尋は、それまでずっと宮崎駿監督のアニメを特徴づけてきた『風の谷のナウシカ』のナウシカ、『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスのような、きりっと引き締まった爽やかな美少女ではない。

 むろんこれは宮崎監督の、きわめて意図的な造形だ。当時、監督が観客へ送った公式メッセージにはこうある。

 「千尋のヒョロヒョロの手足や、簡単には面白がりませんよゥというブチャムクレの表情」と。そして千尋が、そうしたいつも不機嫌そうなわがまま娘なのは「かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひよわな自我を肥大化させるしかない」結果なのだ。

 「かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない」のは、すなわち豊かさの帰結である。

 高度成長完成後、バブル以降、生まれ育った世代の宿命だといってよい。

 ようするに、この『千と千尋の神隠し』で、宮崎駿監督は、「同時代」を清算するためのガチンコ勝負を試みようとしている。

 むろん宮崎監督は、70年代、「ルパン三世」のTVシリーズを製作していた頃から、常に同時代と四つに組んできた。しかし、アニメで描かれる物語の時空が、『千と千尋の神隠し』ほどはっきりと、上映されている今の日本だと示された例があっただろうか?

 『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』は、遠い未来を舞台としたSFだ。『魔女の宅急便』は、ヨーロッパと思しきどこかの国の、さほど現在とかわらない時代としかわからない。『ルパン三世 カリオストロの城』は、公開時の70年代末でも、80年代でもかまわないだろう(新聞記事などから、60年代とする解釈もあるようだが、60年代にカップラーメンはない)。『となりのトトロ』は、昭和30年くらいの日本の農村が舞台。『紅の豚』は第一次大戦後のイタリアで、『ハウルの動く城』はもうすこし以前の南欧のどこか。『耳をすませば』(監督は近藤喜文)は、公開時の90年代半ばでもいいが、70、80年代でも、21世紀でもおかしくはない。

 しかし『千と千尋の神隠し』は、違う。物語の大部分が、現世とはいちおう無関係な異世界で進行するにもかかわらず、その時代は、バブルが崩壊したものの、豊かさはいまだ消えていない現代の日本でなくてはならない。一家3人が異世界へ迷いこみ、奇妙な建物が散在する野原へ到った時、千尋の父が吐く「テーマパークの残骸だよ。90年頃にあっちこっちでたくさん計画されてさ、バブルがはじけて皆つぶれちゃったんだ」という、宮崎アニメには珍しい時事的なセリフもある。

 宮崎駿は、本人の自覚の有無と関わりなく、この作品で同時代を描いてみせた。そして、その同時代が、バブルとその崩壊という転形期であった以上、その作品は、「経済」のドラマとならざるを得なかった。 ・・・続きを読む
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筆者

浅羽通明

浅羽通明(あさば・みちあき) 

1959年、神奈川県生まれ。早稲田大学法学部卒業。みえない大学本舗主宰。著書に『試験のための政治学』(早稲田経営出版)、『ニセ学生マニュアル』3部作(徳間書店)、『大学で何を学ぶか』『思想家志願』『知のハルマゲドン』(小林よしのり氏との共著)『教養論ノート』『右翼と左翼』『昭和三十年代主義』(以上、幻冬舎)、『野望としての教養』(時事通信社)、『時間ループ物語論』(洋泉社)ほか多数。現在、webちくまにて「星新一の思想――とうにユートピアを過ぎて」を好評連載中 http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/