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[7]第1章 盛り場・風俗篇(7)

銀座の新しい風俗

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

 銀座の別の風俗についても若干触れておこう。

 カフェーの隆盛にともない、ステッキ・ガールやストリート・ガールなどが現れた。ストリートガールとはいわゆる「街娼」である。1930(昭和5)年にだされた『銀座通』(小野田素夢著)によると――。

 夜の9時から10時の間に、「有楽町の停車場から丸の内橋を渡って銀座へ出る、腕は肩から脚は太股の半ばから三十歳の豊艶露わな一女性――好事者間の呼び名『十條さん』以後、銀杏の葉陰にウインクする女が続々現れた」

 髪はボップで引き眉毛、頬紅口紅が毛唐好みで、薄い上着と短いスカートがいやに挑発的である。男への「接近法」として以下の三つがある。

★接触――背後から足早にやって来て通り抜ける際に軽く接触して、三四歩前に出てから振り返る。

★張り込み――横町の暗がりにたたずんでいて、口笛を吹いたり笑いかけたりして「あのう」と話しかける。あるいは喫茶店などでウインクしたりリグーズアイズしたりする(リグーズアイズとは、舶来の合図で映画などによくある眼でものいわす奴)。

★乗り込み――客の乗っている自動車を呼び止めて乗り込む。

 このなかで最もむずかしいのが「乗り込み」である。見も知らぬ男の乗っている自動車を呼び止めて、腹痛がするとか足が痛むとか、もっともらしい理由を簡単につけて同乗を乞い、おもむろに口説き落とす。乗り込んでしまえば、十中八九ものになるそうだ。

 失業したダンサーや不良女給上がりがストリート・ガールの供給源だが、中には食費も宿料も払ってくれる、欲得をはなれた「極左的享楽主義の女」もいた。

■ステッキ・ガール

 一方、新風俗として現れたのが「ステッキ・ガール」である。これはストリート・ガールの登場よりやや遅れて1929(昭和4)年に現れはじめた。ステッキ・ガールはカフェーの女給やストリート・ガールより「近代的」で「ナンセンス時代の傑作」であると小野田はもちあげる。小野田によれば、ステッキ・ガールという言葉は評論家の新居格あたりがつけた名称で、それが職業として現れたのは昭和4年の春であるという。

 「いち早く発見した私たちの漫談が国民新聞に掲記され続いて時事新報で脚色されたのが発端で、ついに一世を風靡した」

 小野田は『週刊朝日』(昭和4年4月号)に「銀座・春のナンセンス」と題した探訪記を掲載した。ステッキ・ガールとは、形の上の「ラバー」あるいは「ワイフ」として、お客の望む ・・・続きを読む
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筆者

香取俊介

香取俊介(かとり・しゅんすけ) 脚本家、ノンフィクション作家

1942年、東京生まれ。東京外語大学ロシア科卒。NHKをへて脚本家、ノンフィクション作家に。「異文化摩擦」と「昭和」がメインテーマ。ドラマ作品に「私生活」(NHK)、「山河燃ゆ」(NHK・共同脚本)、「静寂の声」(テレビ朝日系)。ノンフィクション作品に『マッカーサーが探した男』(双葉社)、『もうひとつの昭和』(講談社)、『今村昌平伝説』(河出書房新社)など。