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サザンって、「国民的」なバンドだったの? 

近藤康太郎 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

 えっと、最初に断っておくけど、わざと世の中をハスに見ているわけではなく、これでもファンの端くれなんだから、サザンオールスターズが復活するのはうれしいのだ。桑田さんはまぎれもない天才ミュージシャン。病気を克服して大観衆の前に戻ってくる姿は、人間としても尊敬する。

 だけどなー。なんか、日の丸の小旗振って、祝賀行事みたいになってない? その辺の雑誌・新聞を少し拾い読みしただけでも、「サザン復活は国民的慶事」であり、「サザンはメンバーだけでなく、国民みんなのバンド」であり、再登場サザンは「最後の国民歌謡」であり……。「みなさん、整然とォ、熱狂的にィ、喜びましょう。ファンのみなさんは、バンドのォ、6番目のメンバーです」ってか。DJポリスじゃねえっての。

 あんま、国民国民言うなって思ってしまう。サザンって、「国民的」なバンドなの? 「国土を祝福する歌」を歌ってきたの? まあ、そうかもしれないけど、わたしは知らんかった。そういうふうに、聴いてこなかった。

 むしろ、「国」を含めた、あらゆる所属団体に居心地の悪さを感じていて、どんなおしゃれな恋を歌っていても、その「はずれ感」がにじみ出てきてしまう。そこが好きで、聴いていたように思い出す。

 よくいわれることだが、デビュー曲の「勝手にシンドバッド」は、ロックでもなければ歌謡曲でもないフォーマットを探し、探しあぐね、桑田が勝手に作っちゃった、「サザン」というジャンルだった。そこでは、日本語も、でたらめな英語も、拍の上には乗らず、溶解した。そこにしびれた。

 湘南出身で、青山学院なんてクリスタルにおっしゃれーな大学行っちゃって、歌の才能があって。サザンが、きらびやかであることは、間違いない。

 だけど、

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