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真の芸術家・藤圭子の最大の「不幸」とは何だったのか?

山口百恵、松田聖子、中森明菜と不幸歌手

中川右介 編集者、作家

 歌手・藤圭子が亡くなった。多くの報道がなされているが、歌手としての仕事そのものについて論じたものは、私の眼にした範囲では、ほとんどなかった。テレビや週刊誌は、彼女の衝撃的な死と、それに至る数奇な生涯のエピソードを掘り起こすことに終始している。各テレビ局には彼女の映像がたくさんあるはずだが、まとめて放送した追悼番組もない。

 その一方、彼女のCDは売り切れ、レコード会社は追加注文に追われているとの報道もあった。メディアよりも一般市民のほうが、偉大な歌手が亡くなった時にどうすべきかを心得ている。俳優が死ねばその映画を観て、音楽家が死ねばそのレコード(CD)を聴いて過ごす――これしかない。私はとりあえず、iTunesで5曲ダウンロードした。

 藤圭子がデビューした1969年、私は9歳、小学3年生だった。残念ながら、昨日のことも明日のことも考えず、今日しか知らない小学生男子には、彼女の「凄さ」は分からなかった。いしだあゆみや奥村チヨのほうが、分かりやすい存在だった。

 私が藤圭子をレコードでちゃんと聴いたのは、大学生だった82年か83年だ。その頃の私は卒論を「山口百恵と松田聖子」論と決め、歌謡曲について書かれたものを読みまくっていた。そのなかで五木寛之のエッセイ「艶歌と援歌と怨歌」を読んだ。五木はこう書いている。

 「藤圭子という新しい歌い手の最初のLPレコードを夜中に聴いた。彼女はこのレコードを一枚残しただけで、たとえ今後どんなふうに生きていこうと、もうそれで自分の人生を十分に生きたのだ、という気がした。
 歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から血がしたり落ちるような迫力が感じられることがあるものだ」

 さらに、「ここにあるのは、〈艶歌〉でも〈援歌〉でもない。これは正真正銘の〈怨歌〉である」と書いて、「怨歌」という言葉まで生んでしまう。

 これを読んだ数日後、私は藤圭子の最初のLPを買った。なるほど、たしかに異様な雰囲気、なんとも言えない「凄さ」があった。五木のエッセイによる先入観があったのは確かだが、それを割り引いたとしても迫力が感じられた。

 しかし、この藤圭子の最初のアルバムの曲はどれも「ド演歌」に分類される曲で、そこで描かれる男女関係は共感できないどころか、理解不能だった。80年代前半――それは私にとっては20代前半だった――は、松田聖子の時代である。私は松本隆が創っていく松田聖子のきらびやかな、それでいてせつない感傷的世界を支持していた。それとはまったく別の世界である藤圭子の世界は、古いもの、滅び去るべきもの、全面否定すべきものだった。

藤圭子さん藤圭子さん
 しかし、この歌の世界をフィクションだと割り切り、歌の内容に感情移入せずに突き放して聴けば、不幸や悲劇をこんなにも切々に表現している藤圭子の類希なる才能が理解できた。「このひとは、すごい」と。

 それでも彼女が表現している世界は、やはり否定すべきものだったので、私は松田聖子の世界へ戻った。

 藤圭子は、その歌の世界も暗かったが、彼女自身の生い立ちの物語も暗い――と思われていた。父は旅回りの浪曲歌手で母は三味線弾だが目が不自由、極貧の生活で……という物語が流布し、それと「15、16、17と、わたしの人生暗かった」という歌詞がオーバーラップし、人々は、悲劇のヒロインが健気に歌う姿を見て、彼女を応援し、あるいは自分はそこまで貧しくなかったと優越感に浸った。

 豊かになった日本人は、自分よりもまだ貧しい人がいると安心するために、藤圭子の物語を求めたのだ――というのが、藤圭子に関する一般的な社会学的分析である。多分、そうなのだろう。

 藤圭子以前にも彼女よりも不幸な生い立ちの歌手はいたはずだ。しかし、その不幸は積極的には語られなかった。1960年代末、日本が高度経済成長のピークに向かい、国民のほとんどが豊かになった時、時代錯誤な不幸な少女が登場したのだ。それは明らかに、戦略であったはずだ。

 というのも、デビュー当時の藤圭子のインタビュー記事には、テレビで歌っている時とは違い、とても明るい女の子だとよく書かれ、「暗い少女」は虚像であると示唆されている。五木寛之によれば、プロデューサーの石坂まさをは「目を離すとすぐ明るくなっちゃう」と言ったという。「暗い藤圭子」は虚像だったのだ。

 藤圭子のデビュー戦略、つまり不幸な生い立ちそのものをセールスポイントとしていくことについては、実はお手本があった。

 藤圭子のデビュー前の1967年秋に「オール読物」に掲載された五木寛之の短編『涙の河をふり返れ』である。五木自身の要約を引用すると「大衆に愛されるスターは不幸の味を漂わせていなければならないとアドバイスを受けて、その通りに次から次へとスター歌手の身の上に不幸を企画し実行していく一人の男の話」だ。五木は編集者から、プロデューサーの石坂はこの小説を読んで参考にしているのではないかと指摘される。

 五木は「それはちがう」といったんは否定するが、「そういうことがないという保証はない」と考え直す。さらに、「ジャーナリズムそのものが彼女の演出家になって自動運転を始めているのだろうか」とも考える。

 どこまで石坂が意図的に企んだのかはともかく、マスメディアは藤圭子の不幸な物語に飛びついた。そして、誰も意図しないままに藤圭子の不幸は増幅し、いつしか彼女自身が取り込まれ、虚構が現実に侵食していった。

 藤圭子の最大の不幸は、「不幸な物語」が成功してしまったことにある。

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