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1930~50年代の東宝映画20本が、東京・京橋でニュープリント上映!(中)――成瀬巳喜男『女優と詩人』など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 周知のように成瀬巳喜男(1905-1969)は、小津安二郎、溝口健二、マキノ雅弘、中川信夫とならんで、1930~50年代の日本映画全盛期を代表する名匠のひとりだ。その成瀬が、松竹から PCLに移籍後に撮った注目すべき第2作が、今回、東京・京橋の国立近代美術館フィルムセンター(FC)で上映される『女優と詩人』(1935)である(11月1日、16日に上映)。

 PCLでの成瀬の第1作は、初トーキー作品『乙女ごゝろ三人姉妹』(同、今回上映なし)だが、PCLは1933年に映画製作を開始したばかりだった。貧しい庶民の生活描写を一八番(おはこ)としていた当時の成瀬は、「新派的メロドラマ」を撮れる監督が欲しいとPCLの森岩雄に乞われて、同社に移籍したのである。

 ともあれ、『女優と詩人』や『乙女ごゝろ三人姉妹』、あるいは『サーカス五人組』(1935、今回上映)、『妻よ薔薇のやうに』(同)、『噂の娘』(同)、『まごころ』(1939)、『浦島太郎の後裔』(1946、今回上映)、『春の目ざめ』(1947)、などなどを見れば、少し前まで流布されていた、3〇年代半ばから4〇年代後半までの成瀬はスランプだったという通説が、まったくの誤りであることが明らかになる。

 また成瀬のフィルモグラフィーには、『女人哀愁』(1937)などのブルジョワ家庭劇や、『三十三間堂通し矢物語』(1945)、『お国と五平』(1952)などの時代劇、さらにはサスペンス映画、『女の中にいる他人』(1966)――いずれも傑作――が含まれるので、彼はけっして庶民劇や芸人ものだけを手がけた監督ではない(成瀬が生涯に撮った映画は計87本)。

 さて、成瀬のトーキー第2作でもある『女優と詩人』は、夫婦喧嘩をテーマにした軽喜劇で、ユーモラスでひねりの利いた展開のなかにも、貧しい庶民の哀歓がデリケートにつづられる小傑作だ(72分)。

――売れない童謡作家・二ツ木月風(ふたつぎ・げっぷう:宇留木浩)は、安定した収入のある舞台女優の妻・千絵子(千葉早智子)に頭が上がらず、家事はもっぱら彼の役目。しかし、月風と千絵子の夫婦仲は良く、喧嘩ひとつしたことがない。そのせいで千絵子は、近々上演される芝居の夫婦喧嘩の場面を、いまひとつリアルに演じられない。セリフにも実感がこもらない。

 そんな折、友人の三文文士・能勢(藤原鎌足)を2階に居候(いそうろう)させようとした月風に、千絵子は猛反対する。いきおい、二人は初めて派手な夫婦喧嘩を始める。二人のセリフ合戦は、次第に千絵子が稽古している芝居の台本そのままのものとなり、結果、千絵子は夫婦喧嘩のリアルな演技を修得し、めでたし、めでたしの終幕となる……。

 とまあ、映画内の現実と劇中劇が入れ子状態になっているという、それ自体は目新しくはないドラマを、成瀬は独特のスムーズな編集と画面構成によって、笑いとペーソスの漂うユニークな逸品に仕上げている(と言ってしまうのは容易だが、これは驚くべき稀有の才能の表れだ)。

 スムーズなカットつなぎと言えば、映画研究者・藤井仁子も的確に指摘するように、成瀬はトーキーで可能になった<音声>を巧みに使い、冒頭直後の原っぱから室内への場面転換を鮮やかにやってのける(室内では千絵子が、役者<三島雅夫>を相手に夫婦喧嘩の舞台稽古をおこなっている)。

 藤井氏はおおよそ、次のように言う――その場面で注意すべきは、成瀬が女の悲鳴という音をきっかけにして映画の空気を急変させ、屋外と屋内を実になめらかにつないでいる点だ。つまり、音が画面より先にくるわけだ。撮影所時代の映画では、屋外のシーンはロケかオープンセットで撮られるのが普通で、屋内はそれとは別にスタジオ内のステージにセットが組まれた。

 したがって、屋外と屋内をつなぐというのは、実際にはまったく別な場所で撮られたショットをつながなければならないわけで、普通考えられるよりもはるかに難しいことなのだ。というのも、光の加減やセットのデザインなど、さまざまな点で周到な計算が必要とされるからだ。それを成瀬は見事にやり遂げている。

 藤井氏はまた、『女優と詩人』の開巻、画面の左奥から自転車が走ってくると、その背後を左へと電車が通過する、という二つの乗り物の異質な運動がタイミング良く組み合わされ、フィルムを活気づけているなど、さまざまな興味深い指摘をしている(藤井氏は他のいくつかの成瀬作品の細部にも言及し、既成の成瀬神話の誤りをも突いている)。

 いまひとつ、私が『女優と詩人』の画面構成で感心したのは、

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