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[13]第2章 演劇篇(5)

「生きた新聞」の登場

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

インテリ、文士などにも拡がるファン層

 カジノ・フォーリーが隆盛になるころから「レビュー・ガール」なる言葉が生まれた。レビュー・ガールは座の内外の男性に対して「お兄さん」、女性に対しては「お姉さん」と呼んだが、これはカジノの習慣で、川端康成は「川端のお兄さん」であり、タコ焼きをよく土産にもってきた作家の林芙美子は「タコ焼きのお姉さん」であった。

 またカジノには内海兄弟や島村龍三の関係で、アナ・ボル系(アナーキスト、マルキスト系)の詩人、小説家が出入りした。のちにエノケン一座を文芸部門で引き立てることになるサトウ・ハチローや作家の武田麟太郎、マルキスト系の評論家青野末吉やダダイストの詩人辻潤、後に作詞家として名をなす詩人の佐伯孝夫らもよく顔をだした。

 「オカッパ頭同志の藤田嗣治画伯と漫談の大辻司郎が客席に並んでいたのも珍景であったし、アメリカやフランスの大使館から外人客がよく見物にきた。そんなときカジノのバンドが如才なく、それぞれの国歌を演奏したり、出演者が舞台で合唱すると大使館の連中は立ち上がって愛嬌をふりまいた」(旗一兵『喜劇人廻り舞台』)

 ジャズ・ダンスが白熱化してくると、トランペットの吹き手が舞台にあがって、踊りと競うようにエネルギッシュな吹奏をした。そのときの客席の興奮は戦後の1958~59(昭和33~34)年頃日劇を中心に起こった「ロカビリー旋風」に似ていた、と旗一兵は指摘する。

堀辰雄=1951年堀辰雄=1951年
 川端康成に誘われてしばしば浅草にやってきた作家に堀辰雄がいる。その後、軽井沢を舞台にした『聖家族』や『風立ちぬ』などの佳作を残した作家だが、堀辰雄も一時カジノ・フォーリーの踊り子に興味をしめし、短編小説『水族館』等カジノの踊り子を題材の小説を書いた。その中で踊り子たちを次のように描写する。

 「踊り子たちの大部分は十四から二十ぐらいまでの娘たちだった。彼女らは金髪のかつらをつけ、厚化粧をし、そして某新劇団のお古だと言われる、それほど上等に見える衣裳をつけていたが、彼女らの前身は、恐らく、女工とか、子守娘とか、或いはそれに近いような裏店の娘だったに違いない。そして彼女らの大部分は、恐らく、その歌の卑猥な意味をはっきり理解せずにそういう踊りを踊っているのかもしれない。彼女らの喉をしめつけるようなフットライトのなかで、彼女らは両手を頭の後ろに組み合わせながら、胸を出来るだけ膨らますのである。しかし彼女らの胸はまだ小さい。……そうしてそういうすべてのものが、このカジノ独特の、何とも言いようのない魅力ある雰囲気をば、構成していたのである」

カジノ・フォーリーへの批判

 川端康成や堀辰雄の描く小説の中のカジノ・フォーリーは、ややきれいごとの部分がなしとはいえない。演歌師の草分けで毒舌でならした添田唖蝉坊は、『浅草底流記』にこう記す。

 「階下のガラス箱の中で、黒鯛が泳いでいる。レヴューは二階。色褪せた、埃ッぽい小屋。堅いボロ椅子。ガタガタな楽隊だ。一体何を見せるのだ」

 添田の描写する舞台風景はこんな具合だ。

 舞台は銀座舗道のつもり。
 行き交う、淋しい人の群れ。
 出会った若い男と女、うなづき合って、手を組む。
 行き交う、バラバラの人の群れ。
 手を組んで出てくるさッきの男女。女、腕時計をみる。
 「アラ、ちょうど一時間だわ、では料金を頂くわ。二円よ」
 男、
 「なんだって、料金だって?きみは一体何だい」
 「妾?ステッキガールよ」
 「なんだい、僕はステッキボーイだよ」

 ナンセンス・ギャグであり、今のテレビのバラエティなどではむしろ古くさくなっているが、こういうものが当時の青年層を中心に大いに受けたのである。しかし添田の見方は辛辣だ。

 「新青年の六号活字のような、ナンセンスの連続。ダンス。これはちょっぴり寒い。踊り子の黄色い足。何と細い足。乳当てをしてはいるが、乳当てをするような乳があるのかしらん、ペシャンコではないか」(『浅草底流記』)

 さらに、演奏されるジャズも踊りも、歌も、でたらめの間に合わせてあり「インチキだ」と記す。確かに、他愛のないナンセンスなコントやスケッチに、練習不足の楽隊と踊り子である。芝居の多くは起承転結もなく、あっという間に終わったりする。

 これを「くだらない」と見る一方で、「複雑な都会の風俗を断片的に切り取ってみせるのに適した表現」(中野正昭『新興芸術派とレビュー劇場』)という評価もある。

レビューの舞台裏

 今でいうルポライターの西尾信治が「東京エロオンパレード」と題して浅草のレビュー劇場の萬成座をルポしている。

 「ステージの上に出されたエロの部分はほんの僅かの量であるが、一歩楽屋裏を訪うと、舞台の上で発散されるエロの何百何千倍宛然エロの芥溜(ごみため)だ」と西尾は記す。

 取材対象は、震災前の浅草オペラの全盛時代スターの一人であった木村時子である。西尾は天井裏の楽屋を「酸性に湿ってぶら下がったズロースのトンネル廊下」と表現し、そこは「青春の人肉の腸詰工場」であり、「解放された姿態のうねりくねりの標本箱」で「脂粉の中につかっている取り散らされた海豚(ふぐ)の群」とかなり悪趣味の誇張した描写をしている。

 木村時子については、「緋色の厚布団の上にガッシリ突っ立って巨大な脂肪のカタマリは土俵入、いや踊り子ルビーのメーキャップを急いでいる。程よく細った弟子の元子が粉白粉を先生の広大な臀部へたたきつけている。ボトボトと弛む贅肉を見ていると独身者は憂鬱になる」とエロ・グロ味たっぷりの描写をし、インタビューにはいる。

 「舞台は何年になりますか」
 「十四五年になりますわ」
 「以前の客とこの頃の客との比較ですが、あなた達のアクションに対して最近の客はどこへ注意の焦点を置きますか」
 「この頃のお客様たちの一番興味的に注意しているところはここよ」

 彼女は膨れ上がったズロースの一端を軽く指でへこませて見せるのである。

 「震災前のお客は私達の顔とか髪の毛とか云った上の方ばかりにあこがれを持っていたんです。それがどうです。最近ではだんだん下の方へ下って来るんです。それで女優達もついこのお客さまの興味に焦点のピントを合わせるようになって、ピカピカ光るものを太股につけたりハートやダイヤの形を描き込んだりするのよ」
 「でもそう云ったエロの生命ももう長くありますまい」
 「そりゃそうよ。これからのエロの対象はもうここだの脚だの乳房だのじゃないわね。新しい鑑賞はどうしてもここね」

 木村時子はそういって

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