2013年12月07日
堤清二氏が亡くなった数日後、銀座から京橋に向かって歩きながらふと右側を見上げた。そこにはまだ、1987年にオープンした、ホテル西洋銀座を中心に劇場や映画館が入った菊竹清訓設計の優美なビルが建っていた。6月に営業を止めた後も取り壊されておらず、改装されてもいない。堤氏が、このビルが変わるのを見ないで良かったと思った。
90年代には、外国のVIPはホテル西洋に泊めるのが通例だった。当時、仕事で外国のゲストを迎えに行ったおり、ゆったりしたソファのある2階のティールームを堤氏が面会に使っていたのを、何度か見た記憶がある。このホテルは、堤氏が「欧米の小さいが豪華なホテル」を日本にも作ろうとした、セゾングループの唯一のホテルで、その理想は具現化されていたと思う。
堤氏を思い出す建物としては、84年にオープンした有楽町西武がそうだったが、これはルミネになってしまったし、地下に映画館のシネヴィヴァンがあった六本木WAVEというビル(83-99)も今はない。各地のパルコは別の百貨店の系列に入ったし、西友は外資系、母体の西武百貨店自体がセブンイレブンのグループに吸収されてしまった。
重要な人が亡くなると「一時代が終わった」という言い方をよくするが、堤清二氏の逝去ほどこれが当てはまる例はないだろう。堤氏個人というより、彼を中心とした「西武セゾン文化」が本当に終わったのだと思う。
1972年のあさま山荘事件以降、90年代前半までに大学生活を送った者たちにとって、つまり今の40代から60歳くらいまでにとって、「西武セゾン文化」というのはとてつもなく大きかったのではないだろうか。
若者が服を買う場所として、パルコは全国に広がった。その後に出てきたロフトや無印良品は外国のブランド品の次に来る商品として、バブル崩壊以降の若者にも愛された。
何より、セゾンカードがカッコよかった。会費は無料で、戦後を代表するグラフィック・デザイナー、田中一光がデザインしたSAISONというフランス語の青い文字が上半分に書かれていた。
田中一光といえば西武百貨店も無印良品もパルコも彼のロゴで、包装紙やポスターもそうだった。そのまわりに糸井重里や小池一子、浅葉克己といったクリエイターたちがいた。
つまり、芸術や文化を愛する者にとっては、すべてが西武セゾンだった時代があった。
池袋の西武美術館(後のセゾン美術館、75-99)では、「マルセル・デュシャン展」など日本で初めての現代美術作家の個展が続々と開かれた。地方の大学にいた私は、1982年に「芸術と革命」展を見て卒業後に上京する決心をしたくらいだ。美術館を出たところにあるアール・ヴィヴァンという空間には、海外のカタログやCDが並び、えも言われぬ知的雰囲気を醸し出していた。
その1階下のリブロも、それまでの書店とは大きく違っていて品揃えや並べ方がカッコよかった。詩集は「ぽえむ・ぱろうる」という大きなコーナーで売っていた。さらに8階には「スタジオ200」(79-91)があり、ここで私は80年代に韓国映画や台湾映画を大量に見た。
銀座セゾン劇場(後のル テアトル銀座)で開かれた「ミュージック・トゥデイ」では、武満徹を芸術監督に毎年多くの現代音楽が紹介された。その初日に堤氏が体を半分に折りながら、あちこちに挨拶して回っていたのを思い出す。ここのオープニング企画は、ピーター・ブルック演出の衝撃的な9時間の舞台「マハーバーラタ」で、舞台が開いた時、敷き詰められた砂に息を飲んだ。
西武劇場(現在のパルコ劇場)にはあまり行っていないが、私が思い出すのは、ポーランドの鬼才、タデウシュ・カントールの公演だ。富山県利賀村の国際演劇祭に続いての2度目で最後の来日だった。見たのは『芸術家よ、くたばれ!』。
そして映画好きにとって忘れがたいのは、六本木のシネヴィヴァン。地下への宇宙船のような階段を下りてゆくだけで、異次元へ行く気分だった。オープニングはジャン=リュック・ゴダールの『パッション』で、多くはシネセゾンという西武系の映画会社が配給していた。
1985年夏、フランス留学から帰国した私は、西武百貨店の入社試験を受けて内定をもらった。シネセゾンに行きたいためだったが、500名が集まった10月1日の内定者説明会では「文化事業部や演劇、美術、映画などの子会社志望が半分以上いて困る」と言われた。
結局は行かなかったが、翌年春に800名が入社したはずだ。
2002年に亡くなられた田中一光氏の大きな回顧展を、翌年に東京と大阪で私が企画したのは、自分の中での西武セゾン体験に決着をつけたいと思ったからだった。田中氏が作ったポスターや本やロゴのうち、70年代から90年代までのおそらく半分以上が西武セゾン関係だった。
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