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「行方不明者1万人」のやるせなさに思う。認知症はつくづくモンスターだ

矢部万紀子 コラムニスト

 NHKスペシャル「”認知症800万人”時代 行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~」を再放送で見た。

 初回放送の翌日、番組中で身元不明とされた女性が7年ぶりに夫と再会できた、そんな情報が番組終了後に流れる。そういう再放送だった。再会できたとはいえ、その女性は7年のあいだに寝たきりになっていた。保護された当時の明るい表情は、すっかり消えてしまっていた。

 他メディアもこの「再会劇」をこぞって取り上げた。女性が保護された時に名乗ったのは娘さんの名前だったと、私はフジテレビの「とくダネ!」で知った。

 徘徊の末、行方不明になった認知症やその疑いのある人が、おととし1年間で9607人。NHKが全国の警察本部に調査をし、積み上げた数字だから、役所発表とは迫力が違う。2010年に同じくNHKスペシャルが報じた「無縁社会 無縁死3万2000人の衝撃」と同じで、誰もが「問題を突きつけられた」と感じるだろう。

 だけど、私には無縁社会のときより、ずっとやるせなさというか、つらさというか、悲しさというか、そういうものが強く残った。もちろん無縁社会も苦しいが、あの頃はたとえば独身女子や子なし女子が集まっての飲み会で、「私、無縁死間違いないから」などと冗談を言う空気が少なくとも私の周りにはあった。「無縁死、上等」「森茉莉だって、無縁死だったぞ」などという会話を交わした記憶がある。

 今度は、そうはいかないのだ。「認知症」という存在が、笑わせてくれない。

 認知症はモンスターだと思う。誰にでもすきあらば襲ってきて、襲われたら逃れられない。襲われる人と襲われない人の境目が、いろいろ研究されているとはいえ、実感としては運、不運のように感じられる。

 「糖尿病は認知症のリスク因子です」とは最近よく聞くが、糖尿病でもしっかりしたまま亡くなる人もいるし、お酒も飲まず痩せていて、糖尿病とは無縁な暮らしをしているのに、認知症になってしまう人もいる。「まあ今のところ、親世代の問題だし、うちは今のところ何とかなってるし」と思おうとしても、若年性認知症などというものが「他人事じゃないぞ」と迫ってくる。

 警察同士の連携の必要、行政としての仕組みづくり、地域での見守り……番組が提案していた「行方不明者を減らす施策」はもちろん必要だ。行方不明が死につながり、踏み切りで認知症の人が亡くなると、鉄道会社から家族に賠償金の請求がいく時代なのだ。だが、それらの対策を打ったところで、認知症というモンスターからは逃れられない。それが、女子会で笑い飛ばす空気を起こさせない。

 番組の中に出てきた名前不明の「太郎さん」。スペシャルの放送前に、NHKが午後7時のニュースでとりあげたところ、家族が名乗りでた。その対面の様子がスペシャルで流れたが、家族は引き取ったのではなさそうだ。無理もない。引き取れなどというつもりは毛頭ない。

 太郎さん、体は元気そうに見えた。施設の食堂から自分の部屋に戻ろうとして、間違えることがよくあるという。職員が「違う違う」と追いかけるシーンがあった。太郎さんが「違うか」と照れたように言った。その明るさが救いだった。

 でも、悲しかった。間違って、うれしいはずがない。徐々に間違うことが増えること、当事者が気づかないはずがないだろう。太郎さんの笑いに、当事者のつらさがにじんでいた。

 認知症は、つくづくモンスターだ。

 私は、50歳以上をターゲットにした女性月刊誌の編集長をしている。認知症だけは避けたい。読者のそういう思いはとても強いから、「脳活特集」は鉄板企画だ。もちろん寝たきりも避けたいが、認知症を避けたい思いのほうが、より深刻に感じる。

 寝たきりにならないためには、

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