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ASKAは誰を殴りたかったんだ?

近藤康太郎 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

 活動歴の長いCHAGE&ASKAが、時代の寵児のようになっていったのは、1990年代のことだった。テレビをまったく見ないのでよく知らないんだが、ドラマの主題歌のタイアップで、ヒットを連発していた。それまでは、意外にも苦闘というか、模索の時期が長かった。

テレビ朝日ドラマ「新撰組」の主題歌をレコーディングするチャゲ&飛鳥の飛鳥涼ドラマ「新撰組」の主題歌をレコーディングするチャゲ&飛鳥の飛鳥涼(当時)=1987年
 デビュー曲の「ひとり咲き」の大仰なオーケストレーションは、まるで演歌だったし、「万里の河」も遅れてきたニューミュージックみたいな。いい曲で、スマッシュヒットもしたけど、なんか古くさいな~と思っていた。

 その後、光GENJIに楽曲提供をするようになって、「歌謡曲システム」の中での作家のあり方に、ASKAは一挙に目覚めたんじゃないか。

 タレントの立ち位置を、客観的に見る。冷厳にとらえる。

 そうして、そのタレントの「売り」「輝き」を剔出する。自分自身、ASKAというミュージシャンの「売り」も、実はそのとき、はっきり気づいたんじゃなかろうか。

 CHAGE&ASKAの「売り」とはなにか。それは、ASKAだから許される「過剰感」とでもいうべきものだ。

 たとえば、の話。「この愛のために」や「ロケットの樹の下で」の、必要以上にこぶしをきかせまくる不思議な歌唱は、いったい何だったんだ? 

 「このぅワイのために」「ぅオマエしかいな~い」「旅のドゥォオコカだぁ」という、日本語の破壊活動は、ASKAだから許される。

 すっきりときれいな顔立ちで、透明な声質のASKA以外が歌ったら、勘弁してほしい熱量。カロリー過多で体を悪くする。

 こういうてんこ盛り、「フォークロック演歌歌謡」とでもいうべき過剰感は、ASKAの専売特許だった。

 「なぜに君は帰らない」って、イントロはクイーンでしょ? ギターの音色もブライアン・メイの例のギター・オーケストレーションを意識しているはず。

 パクリだとか、ほほえましいとか言いたいのではない。日本人好みだった、なんでもあり、装飾過多、過剰な行き過ぎロックを、研究し倒し、換骨奪胎している。うまいなあ、と思った。

 出世作になった「SAY YES」なんか、いま聴くと、ちょっとストーカー入ってる。

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