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 7月16日に発売されたBlu-ray・DVDセット『アナと雪の女王 MovieNEX』の売り上げが、驚異的な数値を記録している。7月20日までに売り上げが200万枚を突破、レンタル回数は100万回、オンデマンドでは14万回視聴、デジタルコピーは12万件以上だという(7月25日付『Impress Watch』)。TSUTAYA店舗のレンタルでも、レンタル回数が史上最速で100万回を突破した(7月31日付『CNET Japan』)。

 映画も公開規模を縮小したとはいえ、未だロングラン公開中。まだ記録更新は終わらない。

本をめくり、城から始まる解説的導入部の定型

 前回記したように、映画『アナと雪の女王』には従来のディズニー長編とは異なる特徴がある。

 まず第一に、導入部の設定解説がなく、展開が異常に速いことだ。

 ディズニー初の長編『白雪姫』(1937年)の冒頭は、タイトルバックの後に原題を刻まれた分厚い本をめくる実写パートで始まる。そこに主題曲を伴って、「昔々 かわいい白雪姫というお姫様がいました」とお決まりの状況説明が字幕で被る。

 アニメーションのファースト・カットは遠景から巨城へのマルチプレーン・カメラ(多層式撮影台)によるトラックアップ(移動による接近撮影)で、ここまでが1分程度。ラストは夕陽を背にした王子の城にトラックアップ。最後は再び実写に戻り、「そして2人はいつまでも幸せに暮らしました」と記された本を閉じた後にエンドマークとなる。

 つまり、本編冒頭は城から舞台に入り込み、本編の最後は城から遠ざかって終わる。映画全体は本を開いて始まり、字幕やナレーションで舞台や設定解説を行い、本を閉じて終わる。

 この二重扉のようなプロローグとエピローグは、後続の『シンデレラ』(1950年)や『眠れる森の美女』(1959年)もほとんど同じだ。つまり、ディズニー初期プリンセス物語の定型と言って良い。

 もともと、ディズニー長編は原作の童話や小説を圧縮して、複雑な設定を削除し、単純な筋立てに整理した上で、「歌って踊る」ミュージカルを山場として制作されて来た。このため、幼児を含む全世代で物語の理解が容易で、豪華な夢の世界を堪能出来るという仕組みになっている。

 複雑な舞台や人物設定、過去の挿話などを描くことなく、すぐに本筋に入るために、説明的シーンに字幕やナレーションを被せた短い導入は不可欠であったと考える。それは、面倒な理屈(実写)は前置きで片付け、城を入口として「夢の世界」に浸り、城から出て現実に帰還して劇場を出るという演出であったと考える。

 この発想は、ディズニーランドやディズニーワールドの基本ルートにも通底している。まずはプリンセスの巨城を通過し、各ゾーンへと足を運び、再び城へ戻って出口へ向かう。城は世界各地のディズニーランドのシンボルとして建設され(アナハイム・パリ・香港は「眠れる森の美女の城」、フロリダ・ディズニーワールドと東京は「シンデレラ城」)、ディズニーの社名タイトルバックにも採用されている。城はディズニー作品の象徴なのだ。

 プリンセスを主人公とした歴代の作品では、特異な不幸の設定を観客が受け入れることが前提であるため、冒頭部のナレーションや字幕は過去の因縁や境遇をめぐる挿話に費やされて来た。出生の秘密、継母にいじめを受ける理由、そして「呪い」や「魔法」の由来である。それらの話の舞台も大概は城内だ。

 しかし、ニュークラシックス時代になると様式に縛られないプリンセス物語が登場。『リトル・マーメイド』(1989年)には、冒頭の解説部がない。

 地上の城ではなく、海上の船乗りの歌う人魚の噂から始まり、水夫から逃れた魚と共にカメラは深海深く潜り続け、ようやく海底王国の城へ。トリトン王登場から王女姉妹、王の末娘で主人公のアリエルまで一通りのキャラクター設定が展開される。アリエルは魔女アースラと契約して人間となって地上へ。中盤でようやく城が登場し、王子との生活が語られる。物語はアリエルとエリック王子のキスのアップで終わるが、舞台はプロローグと同じく海上であった。

 一方、『美女と野獣』(1991年)では様式が復活。遠景から城へのトラックアップで始まり、王子の前日譚が描かれた城のステンドグラスに「昔 遠い国の輝く城に若い王子が住んでいた……」のナレーションが被る。傲慢な王子が魔女に魔法をかけられ野獣になったという過去が3分に亘って語られた後にタイトルバック。その後は村を歩き回るベルのミュージカルで村人たちが、読書好きの変わった性格であることを歌で説明する。

 本編の主な舞台は城内だ。ラストは野獣から元の姿に戻った王子とベルが踊る姿に、二人が描かれたステンドグラスがオーバーラップ、窓から城内壁面へのトラックバックで終わる。実写の本をステンドグラスに置き換えた堂々たる開幕・閉幕であった。

 『美女と野獣』で試みられたステンドグラス方式は、アメリカ先住民のヒロインを描いた『ポカホンタス』(1995年)でも応用された。巨大な帆船を描いた額装のダブローにオーバーラップして本編が始まり、ラストも帆船のタブローで終わる。一方、古代中国の女性兵士を描いた『ムーラン』(1998年)は冒頭は水墨画で始まるが、ラストは本編のまま切り替わらず終了。この2作品には、当然欧風の城は登場しない。

 このように、開幕・閉幕は概ね「本(またはその代替物)+城」の定型継承型と定型外創作型の二系統に別れて発展してきた。しかし、いずれも冒頭付近に作品世界の設定解説シーンがナレーションやミュージカルで配置されている点は変わらない。ディズニー長編50作を記念して制作された『塔の上のラプンツェル』(2010年)は、まさに定型継承の今日的形態となるべき作品であった。

『塔の上のラプンツェル』で定型の一部が消滅

 『塔の上のラプンツェル』には本編制作前に廃案となったオープニングが2案あった。どちらも、『白雪姫』同様、本をめくる実写的CGカットによる開幕案であり、明らかに初期プリンセス物語の踏襲が意図されていた(DVD『塔の上のラプンツェル』映像特典「オリジナル・ストーリーブック・オープニング」)。

 第1案では、懐妊中に病に倒れた王妃を救うため、王は病を治すという伝説の「黄金の花」を探す。しかし、花は悪役ゴーテルが数百年も不老不死の魔法の源として独占していた。ゴーテルは花を譲らず、追い詰められた王は花を盗む。王妃は回復し、魔法は赤子の姫の髪に宿る。ゴーテルは姫をさらって幽閉することで若さを保っていたとされている。

 第2案は、1案を発展されたものだ。はるかな昔に太陽の光の粒が天から落ちて「黄金の花」が生まれ、その地が繁栄して太陽を信仰する国が出来た。ある時、王妃が病に倒れ、王は「黄金の花」を国中から探す。ゴーテルは花を独占し、歌で花を活かし続け、不老不死を保っていたが、留守中に軍に花を持って行かれる。以降は王妃回復から姫の幽閉までほぼ第1案と同じ。

 本編は、ほぼ第2案通りだが、本をめくるシーンだけがカットされ、副主人公の男性フリン・ライダーの手配書をバックにした語りで始まる。本をめくるファーストシーンは伝統を引き継ぐという意味では重要な筈なのに、なぜカットされてしまったのだろうか。

 言うまでもなく、初期作の本編は2Dセル・アニメーションであった。そのため、実写パートとの映像的な差異は一目瞭然で、導入部のインパクトも大きい。しかし、3D-CGの場合、たとえ実写で本をめくっても、3D本編との境界は曖昧だ。

 よって、「ここから本編」という明確なスイッチの役割は果たせない。残るのは古臭さと形骸化した様式だけだ。リアルパートから観客を「夢の世界」へと誘い込み、物語の完結の余韻に浸りつつ現実へ帰還を促すという古典的様式は2Dの消滅と共に潰えたと言うべきか。

 また、同作は女性観客だけでなく、男性観客にもアピールすることを目的に、相手役のフリンの比重を増やし、北米版原題もヒロインの名を冠した『Rapunzel』から『Tangled(「もつれた」の意味)』に変更されたという(何故か日本版ソフトでは原題も『Rapunzel』となっている)。冒頭部をフリンの語りとするアイデアは若干新味もあり、自己紹介を兼ねた省略ともなったのではないか。

 ともあれ、『ラプンツェル』において『美女と野獣』のステンドグラス方式のような置き換えも検討されず、本のシーンを丸ごとカットしたことは、(おそらく冒頭部の短縮のためと思われるが)ディズニーにとって大きな転換点だったのではないだろうか。導入とラストを結ぶ第一のアイテムが消滅したためか、エンドロールは2Dのセピア調のイラストで綴られている。

 ただし、城のファーストカットや主人公の設定解説は形を変えて生き残った。この作品には塔と城が描かれ、その二つの舞台を行き来する構成だ。塔は幽閉される場所、城は還るべき場所だ。プロローグが終わると、塔の遠景からトラックバック。塔内でラプンツェルが過ごす日常がミュージカルで語られる。そして、ラストに再び塔の遠景がチラリと登場し、キスシーンの後に城の遠景。冒頭と同じくフリンのナレーションだが、伝統的定型通りに城で終わる。

 それにしても前日譚を語り終え、タイトルバックまでに5分間。数十年を圧縮したとは言え、過去最長の『ノートルダムの鐘』(1996年)の6分に次ぐ長尺のプロローグであり、幼い観客には分かりにくい。本のページをめくるカットが挟まれていたら、さらに長くなっていたことだろう。

 さらに、ラプンツェルの日常解説が3分続く。これだけで、本編の1割近い尺である。これらを丸ごと切り落とせば、格段にスピード感が増し、観客を引き込む挿話の前倒しが可能となるという仮説も成り立つ。推測だが、『アナと雪の女王』はここからスタートしたのではないだろうか。

アクシデント主導による急展開

 『アナと雪の女王』の導入部には、何一つ説明的シーンはない。 ・・・続きを読む
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筆者

叶精二

叶精二(かのう・せいじ) 映像研究家、亜細亜大学・東京工学院講師

映像研究家。亜細亜大学・大正大学・東京工学院講師。高畑勲・宮崎駿作品研究所代表。著書に『日本のアニメーションを築いた人々』(若草書房)、『宮崎駿全書』(フィルムアート社)、「『アナと雪の女王』の光と影」(七つ森書館)、共著に『王と鳥 スタジオジブリの原点』(大月書店)など。

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