杉浦康平 著
2014年10月16日
『多主語的なアジア』『アジアの音・光・夢幻』に続く「杉浦康平……デザインの言葉」シリーズの3冊目の本である。
杉浦さんの本を読んでいつも感心するのは、根源的な問いかけが発想の元になっていることだ。この本では、私たちがふだん接している文字、とりわけ漢字についてのさまざまな「なぜ」が考察されている。以下、その一端を紹介していきたい。
『文字の霊力――杉浦康平デザインの言葉』(杉浦康平 著、工作舎)
杉浦さんは、なぜ「線」が文字の主役になるのか、と問いかける。
ヒエログリフや未解読の古代文字以外の世界各地の文字は、主として「線」で記されてきた。漢字もひらがなもアルファベットも線で表記されることが自明のように思えていたが、なぜ面でなく線なのか、と問うのである。
線は人間の身体感覚とも認知能力とも結びついているという。人間は自らの動きで(点々と連なる足跡などの)線を生みだし(「人間の身体が生みだす線」)、ものの輪郭や動くさまを線として認識することで、ものの形をとらえ描写することができるようになった(「人間の知覚過程で浮かびあがる線」)。
つまり、線という表現手段を手に入れることで、外界の描写が可能となり、文字も生まれた。
線は音の感覚とも結びつくという。ア・イ・ウ・エ・オの母音は、イ・エ・ア・オ・ウの順に鋭い音から丸い(柔らかい)音に変化する。また速度の感覚とも結びつき、「ピイー」は速く、「ボオー」「ウーワゥー」は遅く感じられる。心理学ではこれを共感覚(シナスタジア)と呼ぶらしい。
本書89ページにジグザグや半円などの4つの図形とアルファベットの4つの無意味音(taketeとか)を結びつける図形テストがあるが、やってみると回答(=多くの人の選択)に一致した。形の鋭さ・丸さに、音の響きの鋭さ・丸さ(柔らかさ)が感覚的にぴたりと一致するのである。
アルファベットなどの表音文字は字形の簡略化に向かったが、漢字は違った。漢字は自然を写す象形にとどまらず、字画の組み合わせを増やして複雑化していった。つまり線(画数)がどんどん増えていった。
漢字の特質は複雑さを志向する文字体系であると杉浦さんはいう。会意・形声という偏と旁(つくり)を合体する造字法も漢字の複雑さを加速した。
漢字は身体の記憶と結びついていて、掌や空中に指で文字をなぞる「空書」(佐々木正人らの命名)が、文字が読めなくなる「純粋失語症」の患者の文字の記憶の回復に効果を発揮することもあるようだ。
われわれが普通に書く文字が多く右上がりになり、明朝体の活字の横画も少し右上がりに見え(文字を裏返してみれば横画が少し左上がりに見えることがわかる)、またアラビア文字以外の世界の文字が「左上隅に起点を持ち、右上がりになる」のは身体運動の反映であるという。
以上の指摘は、1991~92年に月刊『ひと』(太郎次郎社)に連載された記事が元になっている。言語学の枠組を超えた、こうした文字に対する考察が、いまから20年以上前におこなわれていたこと自体に驚く。
じつはこのウェブ画面では、本書の核心部分の紹介は難しい。タイトルである「漢字の霊力」については、太極拳や気功の流れるような身体の動きを、書道家が文字を書く手の動きと類比し、殷代の饕餮文(とうてつもん)に、ざわめくような原初の力と「面を線で埋めつくす」漢字の力をさぐり、「壽」文字の渦巻く動きに生命力の発露をみる。
このような、杉浦さんの見出す漢字の霊力を、甲骨文や金文、小篆(篆刻の書体)等々の文字を使わないで説いていくことは、それらが使えないこの画面上では、非常に難しい。
本書は、「漢字という生きもの」の不思議な力が、おびただしい図版とともに解き明かされる、発見に満ちた本である。関心をもたれた方は、ぜひ実際に手にとって確かめてみてほしい。これは、本でしか表現できないことを書き記した本なのだ。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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