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[書評]『ハリー・クラーク』

海野弘 解説・監修

上原昌弘 編集者・七つ森書館

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知られざる画家の、まさに決定版  

 1974年、文庫版となった『ポオ小説全集』(東京創元社)を手に取った。神保町の書泉グランデの1階。その5年前に出ていた分厚い全集(佐伯彰一、福永武彦、吉田健一編)はあまりに高価(たしか当時で一冊8000円くらいしたはず)で、小学生の身には手が出なかった(しかも高い棚にささっていた。わたしの背も低かったし)。

 とはいえ、子どもには定番の、後藤一之のイラストが目印のあかね書房版『モルグ街の怪事件』(川端康成の名前を監修者に借りて、中野好夫と阪本一郎が編んだ)だけでは満足できない。うずうずしていたところで、文庫版の登場。中学生なのに全巻をオトナ買いしたのであった。

 その各巻の巻頭口絵にあったのが、ハリー・クラークであった。これが最初の出会い。

『ハリー・クラーク――アイルランドの挿絵とステンドグラスの世界』(海野弘 監修、パイインターナショナル) 定価:本体2800円+税拡大『ハリー・クラーク――アイルランドの挿絵とステンドグラスの世界』(海野弘 解説・監修、パイインターナショナル) 定価:本体2800円+税
 彼はどんな画家なのか。当時からビアズリーは大ブームとなっていて、まあ似たような人なのかなと思っていた。

 が、調べていくと、全然違う。ハリー・クラーク(1889~1931)はアイルランド人であった。ケルト美術もブームになりかかっていて、唐草模様のウィリアム・モリスの連想からラファエル前派の一員かなあと思ったが、どうもそれほどかかわりがあるようでもない。

 彼が挿絵を描いた『ポオ怪奇小説集』が英米で大ベストセラーとなったことが、ポオ受容に多大な貢献をした、というところまでは理解したが、それ以上は日本語で書かれた文献はどこにもなかった。妖精文学の井村君江氏もまだデビューしていない時代である。いつしか忘れていったのである。

 その後、本当にオトナになって、新聞記者になるつもりが、ずるずると編集者になってしまった。アーサー・ラッカムやカイ・ニールセン、エドマンド・デュラックなど英国挿絵画家黄金時代の絵本を翻訳出版する会社に入って、やがて荒俣宏氏と出会うことになる。

 荒俣氏から焚きつけられて、彼の翻訳したハリー・クラーク挿絵の本を、いくつか箱入りで刊行してしまった(荒俣さんには、オークションで洋書を買う楽しみも植え付けられてしまった……)。巻末には荒俣氏に解説を書いてもらったが、おそらくこれが、日本におけるハリー・クラークのはじめての本格的な紹介であったろう。

 ハリー・クラークはもともとステンドグラス作家であった。19世紀末、ケルト教会が衰亡したアイルランドに、カトリシズム・ルネサンスがおこる。殺到する教会建築の注文をあてこんで、イングランドから流れて来たのがハリーの父親、ジョシュアであった。職人肌の人で、平凡ながら堅実な教会のステンドグラスをつくり、工房を成した。

 だが跡を継いだ息子のハリーのつくるステンドグラスは、父親のそれとはまったく異なっていた。ガラス細工の域を超えていたのである。リアルな絵画のようなステンドグラスであった。

 モリスのアーツ・アンド・クラフト運動(柳宗悦の民芸運動のモト)は、20世紀初頭にはすでに英国美術界に浸透していたから、ハリーにも声がかかって挿絵画家としてデビューに至る。ギュスターヴ・ドレの挿画で知られていたコールリッジ『老水夫行』の新版を足がかりに、『アンデルセン童話集』でスマッシュヒット、前述したように『ポオ怪奇小説集』が大ヒット。

 その後も『ペロー童話集』『ときは春』、そして最高傑作『ファウスト』と快打を続けたが、1931年に急逝。新作が途絶えたことで日本への紹介が遅れたのはもとより、英国挿絵の世界でも一時は忘れられた存在となっていたのであった。

 前置きが長くなったが、本書『ハリー・クラーク』は、日本にアールヌーヴォー・ブームを巻き起こした張本人、あの「太陽」(平凡社)編集長だった海野弘氏の手による、とてつもない労作である。

 B5判カバーの青は箔押しであり、288ページの本文は冒頭部分をのぞいてはオールカラー。これで本体価格2800円とは、どういう魔術を用いた価格設定であろうか。180点以上収録された作品のうち、挿絵についてはわたしのもっている原書より鮮明さは落ちるが、ステンドグラスに関してはまさに息を呑むしかない。

 クラークの画の特長を、ケルト美術にあるような、うねりを伴った背景の過剰な装飾線に求める向きが多いが、わたしの見方はまったく違う。

 わたしが魅かれるのは、何といってもその「眼力」である。白目の多い、強烈な上目遣いの視線が、どのキャラクターのアーモンド型の眼からもビームのように発せられているのである。この巨大な眼は当時の挿絵画家群はもちろん、現代に至るまでのアメコミやバンド・デシネ(フランスの漫画)には見られない。

 クラークはジャポニズムにはまっていたといわれるが、これは今世界中を席巻する「MANGA」やジャポニメーションのキャラクターにも通じるものだ。本書に収録された彼のステンドグラス作品のほとんどに背景は存在しないから、その美点がより浮き彫りにされるのである。

 これらの貴重な画像をどうやって入手したのか海野氏に尋ねたら、アメリカ在住の世界ナンバーワン・コレクターの協力をあおいだそうである。これではもはや、誰も太刀打ちできない。本書は、本邦初の画集にして、すでに決定版となってしまった。

 構成はまずハリー・クラークの略伝(とはいえこの時代のありとあらゆる関連書を博捜した海野氏の手になるものだけに、わたしの理解をはるかに超えて詳細)、そしてメインの挿絵作品集、ステンドグラス作品集、巻末に関係者や同時代の画家の紹介を加えて一冊となっている。アイルランド文化復興を代表するイエーツを解説するばかりか、英国挿絵画家の代表者であるラッカムやロビンソン兄弟の作品をカラーで掲載するなど、心憎いばかりの内容である。

 入門者に向けた初心者的解説かと思いきや、ラストにはわたしの知らないアラン・オドル(1888〜1947)なる挿絵画家まで紹介されていた。2012年に再発見された、これもまた知られざる画家だという。最後の最後まで興奮させる本なのである。

 「神保町の匠」では、紹介しながら文句をつけることも少なくなかったわたしだが、本書には手放しの賛辞を贈るしかない。ネット上ではいくつか誤植も指摘されているが、些末な問題である。現状では今年購入した100冊あまりの単行本のなかで、ナンバーワンの一冊。パイインターナショナル(ピエブックス)の同じシリーズで出ている『オーブリー・ビアズリー』に比べて、売れ行きがイマイチのような気がするが、こちらのほうが内容は上である。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

上原昌弘

上原昌弘(うえはら・まさひろ) 編集者・七つ森書館

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒。大学時代、産経新聞と北海道新聞と新書館(後に入社)の3社かけもちで働く。卒論はヒッチコック。月刊コミック誌、バレエ雑誌、思想誌『大航海』などを編集。また書籍では、川本三郎『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞受賞)、『小津安二郎全集』、『車谷長吉全集』(いずれも新書館)などを編集。3・11の大震災の日に辞表を提出、いまの会社は3社目。