ポール・コリンズ 著 山田和子 訳
2014年11月06日
自信満々の企画がボツになる。サラリーマンなら誰でも味わう悲しい出来事ですね。もちろんこれはサラリーマン編集の世界においても同様で、渾身の企画がサクッとボツになり、いつしか他社で評判の企画として刊行される……というのは本当によくある話です。
その「ボツ理由」の一例が、「インタビュー集や人物列伝は売れない」というものです。
『バンヴァードの阿房宮――世界を変えなかった十三人』(ポール・コリンズ 著 山田和子 訳、白水社)
確かに、この種の企画で章立てに頭を悩ませることは多くありません。それゆえ、読者にそのへんを見透かされて、つまり楽して作られたと思われて、買われないのかもしれません。
だけどこの本、読み出したら止まりません。この企画を断った人は全員、読まないで断った思考停止野郎ではないか、と妄想が膨らんでしまうほどの面白さです。
なにしろ、446ページ全編が濃厚で、「楽して作られた感じ」はこれっぽっちもありません。
本書の登場人物13人はすべて「同時代では国民的人気だったのに、今やキレイさっぱり忘れられた人」です。1人分を書く資料を探す労力を想像するだけで、もうゲップが出そうです。
しかし1969年生まれの著者、ポール・コリンズ氏は生まれながらの古書マニア。むしろこの困難なテーマに取り組めるのが嬉しくて仕方ないかのように、インターネット普及前の1990年代をまるまる調査に費やします。
そして英語圏全体にまたがる古書市場と図書館のネットワークに分け入り、忘れられた偉人たちの生涯を丁寧に再現していったのです。
かくして命を吹き込まれたのはこんな13人です。
全長800メートルの絵を「上演」した画家。20歳でシェイクスピアの「幻の作品」を書き、専門家も騙した贋作者。地球空洞説を全米に信じさせた退役軍人。新しい放射線「N線」を発見し国家最高の栄誉を得た大学教授。エスペラントより前に「演奏できる世界共通語」を考案した音楽家。今もアメリカで一番栽培されているブドウを開発した農場主。架空の「台湾」を語って世間を欺いたまま長寿をまっとうした自称台湾人。ニューヨークに空気で駆動する地下鉄を勝手に通した出版人。真面目で好人物すぎるので晩年は嘲笑の的になった元・国民的詩人。劇壇を怒らせ観衆を熱狂させた富豪にして素人俳優。万能の治療法を発見し普及させた准将。才能を嘱望された結果、難解・奇怪な大評論を残した引きこもり作家。天文学的な数の宇宙人の実在を断言した神学者。
……いかがでしょう。みんな活躍ぶりが想像の斜め上すぎてハンパない、というか、それぞれ1人でも新書ができてしまいそうな逸材ぞろいではないですか。
だけど、その全員の生涯を一冊に収めた本書にダイジェスト感はありません。むしろ著者のサービスは満点です。
いかにして彼らは成功を手にしたのか。その成功が歴史から抹消されたのは、どんな不運や錯誤や悪意が作用したせいなのか。逆にうまいこと「勝ち逃げ」した脇役のエピソードまで盛り込みつつ、「よくぞここまで」と呆れるレベルまで描き切ってくれます。
訳書に投じられた熱量もすごいことになっています。原著のパロディ表現まで日本人にわかるよう訳出し、巻末では原注をインターネット対応にアップデートし、さらに日本語文献リストまでつけています。著者のケタはずれの情熱にがっぷり四つで組み合った結果でありましょう。「このエピソード、俺は前にどっかの本で読んだよ」という物知りな人も、おかげで過去の記憶をインデックス化することができるはずです。
そんな本書、読後の満足感は同じモチーフの名作、種村季弘作品や、森田信吾のコミック『栄光なき天才たち』のそれすらも上回るように思えます。なぜだろうかと考えてみると、波乱すぎる生涯を送った登場人物たちがけっこう長生きしているから、のような気がします。
彼らは失墜した後、自分の挫折をどう受け止め、あるいは受け止めずに長い余生を送ったのか。
本書によると、多くの人がずいぶんとマイペースです。誤解を恐れずに言えば、楽しそうな印象すらあります。貧乏になった人はいますが、自殺した人は(たぶん)いません。みんな相当のことをしでかしているのに、それこそ「ありのままに」生きている感じです。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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