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東京国際映画祭を抜本的に改革する方法

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 東京国際映画祭が始まった翌日の金曜日の朝日新聞夕刊1面に「東京国際映画祭、アニメに活路」という大きな記事が載った。

 ぱっと見ると、この映画祭が今年は成功しているように見えるが、よく読むとこれまでの東京国際映画祭=TIFFが迷走していたことが書かれており、「アニメを分かりやすい入り口にして知名度を高めることで、コンペ作品など芸術性や社会性の強い映画に光が当たり、国内外から映画人たちが集まってくる。そんな好循環を生み出す起爆剤に出来るだろうか」という期待を込めた疑問符で終わっている。

 TIFFのどこがダメかは、すでに2年前に5回に分けてここに書いた。さらに2013年、ここに書いた内容や今年の結果を踏まえて、改善策を提案したい。

観客で賑わう会場付近=撮影筆者観客で賑わう会場付近=撮影筆者
 今年は確かに去年よりも派手になった。

 2013年の7億円弱に比べて予算が11億円と増えたことが大きな原因だろう。歌舞伎座を使ったチャップリンの『街の灯』上映と市川染五郎公演があり、日本橋のシネコンを第2会場にして庵野秀明の特集上映などがあり、国際交流基金特別賞、WOWOW賞、サムライ賞など賞も増えた。

 ところが根本の部分で良くなったかどうかというと、疑問がある。コンペは15本で国際映画祭としては少ないし、日本映画はたったの1本しかない。

 私は大半を見たが、日本の『紙の月』を除くと、いい意味でも悪い意味でもアート志向の強い極めて地味な作品が多く、毎日見るのは「我慢大会」に近かった。秀作もあったが、「一風変わった映画」「思わせぶりなスノッブな映画」「ひたすら地味な映画」が目立った。そのうえ世界初上映は5本しかない。

 ところが6人の審査員を見ると、審査委員長が『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を監督したジェームズ・ガンを始めとして、ハリウッドから3人。これではコンペの地味な作品群が理解できないのではないかと思ったが、案の定、多くの日本の批評家や記者が一番評価したエドモンド・ヨウ監督の『破裂するドリアンの河の記憶』は無冠に終わった。

 コンペは矢田部吉彦氏が選んでいるはずだが、審査員は別の人間が選んでいるのだろうか。それでは映画祭の方向は示せない。

 どちらにしても、世界の国際映画祭のコンペと比べて作品が地味すぎるうえに話題性も少なく、世界初上映が5本では寂しい。

 次に思ったのが、コンペには第1回長編が3本、アジア映画が6本もあり、「アジアの未来」部門とほとんど区別がつかなくなっていることだ。

 こちらのセクションは10本のうち9本が世界初上映で残りの1本は国外初上映。普通だとメインのコンペがこうでないとおかしい。ちなみに第1回長編は5本。私が見たうち、インドネシア映画『太陽を失って』やカンボジア映画『遺されたフィルム』は、地味なコンペ作品よりもよほどコンペにふさわしいと思った。

 去年指摘したように、アジアセクションをなくし、コンペには中堅以上の話題作を並べ、もう1つのセクションは長編第2回までにするなど抜本的な改革が必要だろう。

 さらに正月映画の顔見世興行でしかない「特別招待作品」は止めて、「コンペ外作品」として現在の「ワールド・フォーカス」を含む形で各地の映画祭で話題になった作品や、コンペになじまない巨匠監督の作品などを集めるべきだ。とにかく今のセクション区分をもう一度根本的に仕切り直さないと、まともな国際映画祭にはならない。

 また、日本映画をもっと見られるようにしないといけない。『カイエ・デュ・シネマ』誌のステファン・ドゥ・メニルド氏は、「釜山のようにこの1年分の日本映画の秀作を見られるセクションが欲しい。TIFFには日本映画の傑作が揃ってないので」と言っていた。もちろん、北野武や園子温といった海外で話題の監督の作品がTIFFに出ないというのは別の問題としてあるが。

 さらに抜本的な改革を2つ提案したい。

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