戦慄的な傑作「炎 アンサンディ」
2014年12月30日
1.「炎 アンサンディ」
2014年観劇して、もっとも衝撃を受けた作品である。題材は泥沼化していた時期のレバノン内戦。深刻な問題を掘り下げながら、同時に物語としての面白さも充分に備えた傑作だ。
レバノン出身で、内戦を逃れてフランスに亡命、現在はカナダで活躍するワジディ・ムワワドの戯曲を文学座の上村聡史が演出した。翻訳は藤井慎太郎。
彼女は、実の子である双子の娘ジャンヌ(栗田桃子)と息子シモン(小柳友)への遺言と2通の手紙を公証人(中嶋しゅう)に託した。
ジャンヌには行方知らずの父を、シモンには存在すら知らされていなかった兄を探し出して、それぞれに手紙を渡せよ、というものだった。
母ナウルは10年前から裁判の傍聴に精を出し、5年前からまったく口をきかなくなった。唯一、発した言葉は「こうして一緒になれたから、これからは大丈夫」という台詞。
この言葉は何を意味するのか、母の封印された中東での過去には何があったのか、手紙を託した意図は何なのか?
こうして、母親の人生を追体験するかたちでドラマは離陸する。
レバノン内戦というシリアスなテーマを追いながら、謎を追うミステリー仕立ての作劇にした点がまず見事で、観客の心を一気に鷲掴みにする。
すでに成人しているジャンヌは数学者、シモンはボクサー。遺言に導かれて初めて祖国に赴いたきょうだいは、想像を絶する母親の数奇な人生と自らの出自に向き合うことになる。
舞台は、核心に近づいてゆく現在の旅と、過去のレバノンの出来事とを交互に、あるいは同時に描いてゆく。現在と過去のエピソードが時々シンクロする趣向にも妙味がある。
母ナウルは10代半ばで恋人ワハブ(岡本健一)との間にできた子を出産。しかし、二人は引き離され、子供はいずこかへ連れ去られる。かつて母がワハブと交わした言葉が「こうして一緒になれたから、これからは大丈夫」であったのだ。
やがて読み書きを習得したナウルは、知り合った「歌う女」サウダ(那須佐代子)と連れ立って子供を探す旅にでる。
しかし、いっかな子供は見つからず「兄弟に銃を向ける」絶望的な内戦は続く。ナウルは義憤から武力勢力の最高責任者を暗殺、収監される。刑務所では拷問役のアブー・タレックに強姦され、彼女は妊娠して出産、子は捨てられる。
……ここまで辿り着いた娘のジャンヌは、その子供が「兄」なのだろうと理解する。しかし、真相はさらに過酷だった。その子供の育ての親に会ったジャンヌは、子供とは双子だったと聞かされ、自分たちは強姦の末にできた子なのだという驚愕の事実に直面する。
この暗黒を覗いた後、舞台は異様にハイテンションのシーンに転調する。銃をギター代わりに歌う若い殺し屋ニハッド(岡本健一)のワンマンショーが展開され、彼は憑かれたように無造作に人を殺し、その屍をカメラに収めてゆく。ここで異物のように挿入される場面と状況との落差は、現実の意外性を高める伏線となる。
遅れて現地入りしたシモンは、兄の名がニハッドであることを知らされ、兄のその後の消息を聞くに及んで言葉を失う。
喪失したシモンは数学者のジャンヌに問う。「1+1=1」になることはあり得ないか、と。ここで「1」とはそれぞれ、父と兄のことだ。そしてきょうだいはギリシャ悲劇「オイディプス王」を思わせる衝撃的な事実に突き当り、観客ともども戦慄させられるのだ。
この物語が優れているのは、運命悲劇かと見まがうようなドラマティックな物語でありながら、すべては状況に起因した結果であると受け止めるしかない筋立てにある。母ナウルはぎりぎりまで誠実に生きたにもかかわらず、地獄の体験をして言葉を失った。狂気のニハッドについても、彼がそういう人格に陥った相応の理由が推察される。
すべては戦争がもたらした、すれ違いの悲劇もしくは人間の荒廃といったところに収斂されてゆくのだ。
作劇で巧みなのは、「人の取り違い」というストーリーの要においても、巧妙な伏線が張られている点だ。「歌う女」がサウダだと思っていたら、いつしか母のナウルのことだったとの発見がまずあり、次いで強姦の末に生まれた子供の真相があり、最後に「父親」がベールを脱ぐ。段階を踏む構成の緻密さにも舌を巻いた。
こうした大胆にして繊細なドラマを迫真的に描き上げた上村の演出が素晴らしい。場面場面は素朴でリアルに映し出しながら、総体としては神話的な世界を屹立させた。沢田祐二の鋭角的な照明も秀逸。
また7人の俳優がこぞって大健闘。栗田の知性的で求道的なたたずまいと、小柳の直情的な振る舞いが対照的で、不可解な遺言に向き合う姿に逆に説得力を与えた。
岡本は純真な少年から悪魔まで振幅の広い数役を熱演した。ナウルの旅に同行する那須が、戦場の殺伐とした風景の中にあって体温を感じさせる好演。中嶋の手練れのうまさ、カ ナダの看護士から中東の長老まで何役も演じた中村彰男の達者ぶりもドラマを支えた。そして何より、悲劇を刻印された女性を厳かに演じきった麻実が絶品である。
ぜひ同じキャストによる再演を望みたい。
(世田谷パブリックシアター企画制作。9月28日~10月15日、シアタートラム。兵庫でも上演)
2.ミュージカル「ビューティフル・ゲーム」
アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲、ベン・エルトン脚本・作詞による本作は2000年にロンドンで初演された。日本でも一度、翻訳上演されたことがあるが、藤田俊太郎演出の今回の上演をもって、初めてこの作品のよさを堪能できた。
リーダーのジョン(馬場徹)としっかり者のメアリー(大塚千弘)のカップルが本筋を担い、ここに過激なチームメイトでやがてIRA(アイルランド共和国軍)に加わるトーマス(中河内雅貴)が絡んで、二人の人生を狂わせてゆく。
一方、三枚目的なジンジャーと愛嬌あふれるベルナデットのカップルが悲劇的な脇筋を担う。もう一組、カトリックのクリスティーヌとプロテスタントのデルは暴動の中で愛し合い、「ベルファーストに生まれて」という曲を歌って宗教の壁を乗り越えようとする。
サッカー一筋だった少年たちが宗教対立と地域紛争に巻き込まれて傷つき、ある者は命を落とす。この非情な世界をロイド=ウェバーの流麗な音楽が美しく、あるいは痛ましく彩る。
躍動的な表題曲のほか、「神の国」「Let us Love in Peace」「All The Love I Have」「The First Time」など耳に残るナンバーがいくつもあり、歌唱レベルも総じて高い。ただし、オリジナル版にあったメロディアスな曲「To Have and To Hold」がカットされたのが残念。
この上演はオリジナル版ではなく、「写真の中の少年たち」という往時を回想する歌を枠組みとして加えた改訂版に基づく。藤田演出は、舞台をはさんで両側に客席を設け、対立に立ち会い見つめるというコンセプトを明瞭に打ち出した。これによって、憎しみに満ちた大人の世界とは無縁だった少年時代の純真さが生々しく喚起され、感慨を誘った。
(オフィス・ミヤモト制作。1月31日~2月11日、新国立劇場)
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