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[3]才能の発掘役・中規模映画祭の苦境

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 邦画がフランスの配給ルートに乗るためには、まずはプロが集まる海外の映画祭を経由するのが王道である。

 ところが現在、日本映画を積極的に紹介してきたフランスの多くの映画祭が苦境に立たされている。映画祭の苦境は、映画祭が頼みの綱の日本人監督にとっても、受難の時代であることを意味するだろう。

 まずは1999年にスタートし、欧州最大のアジア映画の祭典として存在感を高めてきたドーヴィル・アジア映画祭。

映画祭の舞台ドーヴィルはノルマンディー地方の避暑地
(c)Elizabeth Parker映画祭の舞台ドーヴィルはノルマンディー地方の避暑地 (c)Elizabeth Parker
 ノルマンディー地方のドーヴィルは、クルード・ルルーシュの映画『男と女』の撮影地でも知られる。

 カジノがそびえ、浜辺には馬が闊歩し、優雅な雰囲気の漂うお金持ちが大好きな避暑地だ。

 本映画祭ではこれまでに、辻仁成『ほとけ』、塩田明彦『ギプス』、廣木隆一『東京ゴミ女』、坂巻良太『こぼれる月』、橋口亮輔『ぐるりのこと。』、熊切和嘉『海炭市叙景』、園子温『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』といった作品が受賞を果たしてきた。

 黒澤明、三池崇史、廣木隆一、黒沢清、園子温、中田秀夫といった監督に至っては、オマージュ監督として回顧上映も組まれた。

 だが先ごろ、邦画の重要な紹介役として機能していた本映画祭の2015年の開催が、資金難のため中止が発表されたのである。

 本映画祭ディレクター、ブリュノ・バルドは、インタビューで「アジア映画はフランスの映画観客数シェアの1%しかなく、厳しい状態にある。経済的な現実が、私たちの映画祭を襲った」と答えている。

 中規模と言える本映画祭の予算は約50~60万ユーロ(7262~8714万円)だが、近年は赤字を出しながらの開催だった。不況下で助成やスポンサーを得るのが難しくなり、2015年はいったん中止を余儀なくされたのだという。

 このドーヴィルにはもうひとつ、1975年から続く老舗のドーヴィル・アメリカ映画祭がある。華やかなアメリカ映画にはスポンサーも付きやすいので、こちらは不況の波も涼しい顔でかわして今後も続行予定だ。

 だがアジア映画とアメリカ映画、どちらが切実に映画ファンからの注目を必要としているかを考えれば、これはアジア映画に決まっている。フランスでシェアも十分過ぎるアメリカ映画を、これ以上映画祭を介して宣伝しなくてもよいのではと、個人的には苦々しく思わぬでもない。

 愚痴ったところでもうひとつ、欧州のアジア映画発信の重要拠点となっている別の映画祭について触れておきたい。

2014年のナント三大陸映画祭閉会式
(c) Ce?cile Pre?vot /PREVIEW2014年のナント三大陸映画祭閉会式 (c) Cécile Prévot
 フランス西部ロワール地方最大都市のナントで開催されるナント三大陸映画祭だ。

 1979年にスタートし、アジア、南米、アフリカの三大陸の秀作を紹介してきた。

 邦画はこれまで、高嶺剛『ウンタマギルー』、是枝裕和『ワンダフルライフ』、富田克也『サウダーヂ』、深田晃司『ほとりの朔子』が最高賞を受賞し、塩田明彦は『どこまでもいこう』と『害虫』の2作で、審査員特別賞を受賞している。

 本映画祭は、これまでアッバス・キアロスタミ、ホウ・シャオシェン、アピチャートポン・ウィーラセータクン、ジャ・ジャンクーといった巨匠をいち早く紹介してきたが、その確かな鑑識眼に映画関係者の評価が高い。

 だが2000年以降はスポンサー減少による資金難で、火の車の運営状態が続いていた。

 見かねたナント市は、抜本的改革を映画祭側に厳しく要請。その結果、創設から携わるシネフィル兄弟のフィリップ&アラン・ジャラドーが去り、代わりに2010年からは、1970年生まれの若きディクレクター、ジェローム・バロンがトップに就任した。

 バロンはパーティの縮小、賞の削減、ボランティアの活用など徹底的な経費削減を図り、3年で見事に赤字を解消させたのだ。

 堅実なバロンの指揮下でひとまず映画祭の中止は免れたわけだが、その生命線は決して太いものではない。現在も節約モード・徐行運転での開催であり、映画祭そのものは縮小気味だ。

 本映画祭の予算は68万ユーロ(約9876万円)だが、バロンは「野心的な内容にするために、75万ユーロ(1億893万円)くらいの予算がほしい」と語っている。

 さらに映画祭の苦境話は尽きない。

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