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ゴダール『さらば、愛の言葉よ』にぶっ飛ぶ(下)

本作の真の主人公は犬だ!?

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『さらば、愛の言葉よ』の"処女作性"は、前回述べた3Dの革命的な用法だけではない。

 後半でゴダールとパートナーのミエヴィルの愛犬ロクシーが登場し、自由気ままに自然――いわば<人外境>――の中を動きまわる一連の映像にも、これまで誰も見たことのない斬新さがある(ロクシーが川に流されてしまうハラハラする場面もあり!)。

 しかも、ロクシーがあちこちをさまようところでは、カメラがあたかも犬の視点になったかのように、極端に低いアングルになり、文字どおり犬的な、クンクン匂いを嗅ぎながら地べたを這うように移動する撮影もあり、目を見張る(ロクシーは、カンヌ国際映画祭のパルムドッグ審査員特別賞を受賞)。

 さらに、ロクシーが水辺をさまよう場面では、周囲の紅葉がまるで脳の神経細胞のように複雑な網目状に錯綜し、しかもそれが赤や緑や黄の濃い原色をにじませ、その色彩の輪郭が互いに溶け合い、文字どおり「かき混ぜられた水彩画」のような印象を帯びる。濃厚な原色が重層的に折り重ねられた、幻惑的な発色である。

 ところで、前掲『ユリイカ』で作家の阿部和重も、蓮實重彦との対談「社会攪乱者としてのゴダール――『さらば、愛の言葉よ』をめぐって」で言うように、ゴダールの関心は前作『ゴダール・ソシアリスム』(2010)あたりから、子ども、そして動物に向かい始めている。

 さらに阿部氏は、子どもと動物は社会を生きる大人とはルールを部分的にしか共有しない、いわば不確定な存在であり、その「不確定性」こそが、もとよりゴダールが映画に対して取ってきた態度だと鋭く述べ、さらに映画に対してだけでなく、われわれの生きている社会自体に「不確定性」を突きつけることで、ゴダールは政治的攪乱者としても振る舞いつづけている、と述べる。

 つまり阿部氏の発言を敷衍(ふえん)すれば、子どもと同様、犬――ここでは犬に動物を代表させる――も、大なり小なり人間の大人にとっての<他者>であり、なかば不可解な生き物なのであって、それゆえにゴダールが執着する被写体なのだ、ということになろう。

安岡章太郎=1983年拡大安岡章太郎=1983年
 ちなみに、犬は飼い主に似るという俗説に対し、人間にとって犬は、やはり不可解な他者なのではという疑義を投げかけているのが、2013年に逝去した安岡章太郎だ。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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