亀山亮 著
2015年03月23日
腹の奥底から絞り出すような叫び声。こちらを凝視する目。焼け焦げた匂い。胸を締めつけられ、握り潰されるような恐怖。
これらが充満する「戦場」で、亀山亮はどこまでも対象に肉薄する。1976年生まれのこの写真家は、アンゴラ、シエラレオネ、リベリア、スーダン、コンゴ、ソマリア、ケニア、ブルンジなど、各国の紛争地帯を渡り歩き、そこに生きる人びとの姿をカメラに収めてきた。
10年ほど前、『アフリカ 忘れ去られた戦争』(岩波書店)という本で初めて彼の写真を見たときの、息がつまるような圧倒的な感触を、忘れることができない。
元兵士の夫に両腕を切られた24歳の女性(ブルンジ)、一日中マリファナを吸う子供兵士(リベリア)、戦争体験がトラウマとなり鉄格子が嵌められた精神病院で鎖につながれている男性(シエラレオネ)……。
彼らの気配や空気感の一部が自分の中に入り込んだ瞬間を捕まえ、シャッターを切る。彼らの日常の狂気や魂のありようを、どこの誰にでも起こりうる普遍的なものとして抽出する。
その凝縮した表現は、自身がパレスチナでの取材中(2000年)、イスラエルの国境警備隊が撃ったゴム弾により左目を失明したことと、無関係ではない。
「戦場では一瞬にして生と死が決まる」という実感が、写真家の人間と戦争に対する見方を掘り下げた。本書には、その行動と精神の軌跡が綴られている。
自分でも説明できない衝動に駆られ、戦争に惹かれ、誰からも求められていないのに写真を撮りに行く。被写体に自分の存在を試され、彼らが困難に立ち向かう姿を見て、生きていくことを学んだ――。
亀山亮の文章に、余分な言葉は見当たらない。剥き出しの暴力の前では、おのずと虚飾は排される。『戦場』という簡潔な題名に、戦争の深淵を垣間見てきた人間の凄みを感じる。
「ただ死者だけが戦争の終わりを見たのである」。本書の冒頭に引かれたプラトンの言葉に、殺戮を繰り返す人間の底知れない狂気と、それを狂気としてとらえられないもうひとつの狂気を思う。
本書を読み終えたら、手のひらにじっとりと汗をかいていた。鈍麻した痛覚が、静かに呼び起こされるようだった。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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