勃興する新しい勢力
2015年04月06日
1927(昭和2)年、知性派の作家、芥川龍之介が大量の睡眠薬を飲み自殺した。自殺の理由として芥川は「ぼんやりした不安」という言葉を遺した。
周知のように日本は1914年に勃発した第一次世界大戦によって、アメリカとともにもっとも「利益」を得た国である。
漁夫の利を得たのだが、一方、主戦場となったヨーロッパの疲弊ははなはだしく、多くの人々が日用品にも事欠く状態であり、そこに膨大な消費が生まれた。
大戦で無傷であった日本とアメリカには時ならぬ「軍需景気」が到来し、船舶や武器類の注文があいついだ。戦後は荒廃したヨーロッパの戦後復興のための「物資供給基地」の役割を果たし、国内の生産工場はフル活動だった。
第二次世界大戦後の朝鮮戦争による「朝鮮特需」に似て、「作ればなんでも売れる」事態が生まれたのである。一部悪徳企業では洋服のボタンを糸でつける手間をはぶき、糊付けしてヨーロッパに送ったりなどの「国辱的な行為」もあった。
この景気は一種のバブルであり、やがて弾ける運命にあった。お定まり通り、ヨーロッパの復興に一段落がつくと、過剰な生産設備に見合う消費がなくなり、大不景気が到来し企業の倒産があいつぎ、失業者が急増した。
そこを襲ったのが関東大震災である。10万を超える人が死亡し、首府の東京は壊滅状態となった。形あるものばかりでなく、江戸時代から命脈をたもっていた伝統文化も震災によって瓦解した。
歴史をひもとくと歴然としているが、新しい文化は旧文化の崩壊、瓦解という土壌の上にこそ花咲くものである。これは一種の「法則」といってもよいくらいで、法則通り第一次大戦の惨状の中から、ヨーロッパを中心に既成の価値観をひっくりかえすような「モダニズム」の文化が起こり、演劇や映画、風俗、世相に大きな影響をあたえていった。
文学も当然モダニズムの影響をうけ、若い書き手を中心に前衛的で実験的なさまざまな試みが行われた。
一方、第二次世界大戦後の1917年、20世紀最大の政治的変動であるロシア革命が起こった。
マルクス主義にもとづく、社会の運営システムを根本からくつがえす動きで、まさに「革命」であった。世界の知識人の多くがロシア革命に刺激され、資本主義で行き詰まった仕組みを打開してくれる可能性がここにあるとして、ユートピアを夢見た。
外来思想の移入に敏感な日本の若い知識層がこの革命に過敏に反応し、日本での共産革命を夢見て、まずは研究から、ついで実践活動に入っていった。
「人生いかに生きるか」が基本テーマであった文学の世界にも、ロシア革命の成功は強い刺激をあたえた。そこに誕生したのが「プロレタリア文学」という日本独特のプロパガンダ文学だった。
関東大震災後の疲弊や先行き不安の空気もプロレタリア文学に有利に作用し、既成文壇を圧倒する勢いで労働者や知識人に読まれた。こうした動きに、「旧文壇」の作家や版元は強い危機感を抱いた。
象徴的なできごとがある。後の共産党の指導者となる宮本顕治が、東大在学中の1929(昭和4)年、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で、当時有数のオピニオン雑誌『改造』の懸賞論文に当選し、文壇にデビューした。
このとき次席に入ったのが、小林秀雄の『様々なる意匠』である。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください